Dolmen of the North-West Caucasus
Maykop culture(BC3,700~3,000年頃)
「Maykop culture」については、何度も書いてきました。Maykop Kurgan(クルガン墓)に副葬された多量の黄金製品で特色される、コーカサス山脈西端の文明です。今回はそこに築かれたDolmen、Kurganを見ていきます。
これまでブルガリア南東部のDolmenを見てきましたので、そのつながりは容易に解ります。ただ写真(1)を見ても解るように、円形共同納骨墓の開口部を丸く作っています。「Varna culture」(参照)から「Perperikon」(参照)と移動、発展した円形共同納骨墓は四辺形に切られていました。また石材の重ね方が違っています。時間軸を見れば「Varna culture」(4,500~4,100BC年頃)、「Perperikon」(4,000BC年頃から)そして「Maykop culture」(3,700BC年頃から)です。円形共同納骨墓を築いたこれらの文化の繋がりを、どう考えればよいのでしょう。
また、「Maykop culture」の共同納骨墓には、ブルガリア南東部では「Vinca culture」などズールーの概念を持つアフリカからの部族が、土壙墓用に発達させた「支石墓」や「石棺墓」を共同納骨墓として築いています。ただし開口部は円形が多く、四角,三角もあります。円形・雨粒、四角・輝く雨、三角・女神)いずれも「雨による平衡と豊穣の女神」を示します。ブルガリア南東部では「王女の子宮」を表す「アーチ型」の開口部です。(参照)
これらを考え合わせると、「Varna culture」で円形共同納骨墓を築き始めたコーカサス出身部族は、Varnaの地を追われたあとブルガリア南東部(Perperikonなど)に移動しますが、しばらくしてその一部の部族は、ブルガリア南東部と交流を持ちながらコーカサスに再び帰って金脈を探し始めたことが考えられます。
いや、むしろコーカサス出身部族の金採掘の歴史を踏まえて、もっと大きな動きとしてBC4,000年頃の世界を考えなければ時間軸は繋がらないと考えます。
黒海大洪水の後、高地に移り「Shulaveri-Shomu culture(BC5,600~BC4,000年頃)」を築いた部族は、そこで金採掘の技術を持ちます。(参照)
その間金鉱脈を探す旅に7年周期ででています。(参照)
その中で有力な金採掘地として移動、開発を始めたのが「Varna culture(BC4,500~BC4,100年頃)です。
こう考えると、「Varna culture(BC4,500~BC4,100年頃)の部族は常に、「Shulaveri-Shomu culture(BC5,600~BC4,000年頃)」の母胎と連絡を取り、Ⅴarnaで生産した「塩」の交易なども行っていたと考えられます。
また「Varna culture(BC4,500~BC4,100年頃)の部族はドナウ川下流の地域で、地中海から進出してきた「Karanovo culture(BC6,200~BC4,000年頃)」の海洋民族や、アフリカからの「Starcevo culture(BC6,200~BC4,500年頃)」(参照)、更には「Vinca culture(BC5,700~BC4,500年頃)」(参照)の部族と関係を築くことになります。
これらを理解した上で「Maykop culture」の「Dolmen」を見ると、その変化を理解することができます。
(1)Wikipedia
開口部の丸穴は、白骨となった骨盤が楽に入る大きさです。全体の巨大さもそこから推察することができます。
(2)DolmenーCaucasus Mountains Rossia
この湾曲した形状に切り出されたブロックは「Perperikon」や二本のDolmenにも見られる特徴です。それにしても、CaucasusのDolmenの完成度は目を見張るものがあります。
(3)Dolmen North Caucasus Photos Free&Royality Free
もう一つのCaucasusのDolmenの特徴は、Dolmenと一体化した「Stone-Saharaponas」(鳥葬スペース)です。低い石塁で石を敷き詰めたスペースを囲っています。形は冥界の女神・イシュタルに通じる四角(輝く雨)と丸(雨粒)です。写真(1)の「Stone-Saharaponas」は四角で写真(4)は角が丸くなった四角です。湾曲に切り出されたブロックがここでも使われています。
(4)HERITAGE
こうして「Maykop culture」(3,700BC年頃から)のDolmenを見てくると、ある違和感を感じてしまいます。作り方とその概念は明らかにブルガリア南東部に繋がっています。しかし、発展しすぎているのです。開口部の違いも気になります。この違和感は染色体ハプログループによって理解されていきます。 このところ数々の部族のゲノム分析がなされ始めました。ブルガリア南東部からの、ハプログループの移動を見ていけば、Dolmenの移動と変化も連動しているはずです。Vinca necropolisのゲノム分析に戻り、時系列で理解することにします。
以下の写真のDolmenは、その過程で再び現れてきます。
(5)Dolmens of North Caucasuswikipedia(神殿の原型
(6)Dolmens of North Caucasuswikipedia(ピラミッドの原型)
、
(7)Dolmenns of Russia ringingcedasofrussia.org
(8)RUSSIA BIYOND rbth.com(支石墓型)