形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

ユリとバロックを彫りながら

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Petit Fiori(プティフィオリ)和久譲治 ;ユリとバロック(1) ;18K,ダイヤモンド(ローズカット、バゲットカット)、ロードクロサイト、白蝶貝

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Petit Fiori(プティフィオリ) ;ユリとバロック(2)

 

 

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Petit Fiori(プティフィオリ) ;ユリとバロック(3)

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Breast Ornament;ポルトガル、17世紀後半

Five centuries of Jewellery;National Museum of Ancient Art ,Lisbon

 

人に伝えることは難しい。装飾文化史;「バロックを彫りながら」、ジュエリー文化史;「Stone Settins(石留め)で紹介してきた、17世紀、バロック時代のStoneSettins(石留め)は、今読み返しても難しい。具体的なイメージを持てる人は少なかったと思います。そこで、二作目の「ユリとバロック」の写真を紹介します。「バロック時代のジュエリー」を検索しても良い画像があまりないように感じます。スペイン;バロック時代の「Cisele Setting」が、イタリアで流行した「Giardinetto」の画像を見たとき「本物がほとんど・・・」。私の「Cisele Setting」で恐縮ではありますが、イメージは明確に持っていただける信じます。そのためにポルトガル;リスボンまで足を運びました。「バロックを彫りながら」の内容は以前の文章と、補足を書くことにします。

「イスラム世界(インド)からの技術と新大陸からの金銀、宝石が融合した場所、スペイン、ポルトガル で始まった新しい石留め技術は 金属の塊に宝石を埋め込み、その宝石をより露出するように文様に彫り出す石留め方法 Cisele’ Setting(シズレ セッティング)とRoman settingでした。シズレ セッティングとはこの石留めがフランス・ロココで最も美しく用いら れ、それ以前に特別なな呼び名がなかっため仏語を使いました。フランス・ロココではこの呼び名がよく見られます。意味は単なる「彫り留め」です。この石留 め方法がパヴェ留めに発展するまでには、まだ200年の歳月が必要でした。」(ジュエリー文化史;Stone Setting(石留め))

17世紀中庸にスペイン、ポルトガルで始まったバロック様式の; Cisele’ Setting(シズレ セッティング)はハプスブルグ家繋がりで、17世紀後半イタリアに伝わります。写真のように植物文様に彫られたため「Giardinetto」と呼ばれます。イタリア語の「花壇」です。そしてフランス、イギリスにも広がっていきました。

 「また、私が彫った「バロック」の装飾文様は、歴史に倣い、古代表象「生命の木」のイスラムバージョンです。レコンキスタ終了後(1492)、トレド を中心にイベリア半島のキリスト教国における、イスラム文化とユダヤ人の共存、翻訳活動は、古代世界から連続する装飾・表象をヨーロッパに接ぎ木します。

「生命の木」はペルシャでサエーナ樹となりますが、ポルトガル・スペインではギリシャ様式(アカンサス)が主に使用されます。また、コス・ド・ポア(エンドウ豆の鞘)のようにモチーフが変わっても「生命の木」は「生命の木」です。

ギリシャ世界の知の遺産はローマではなく、カリフ・マームーン(在位813~833)の時代バクダット「知恵の館;バイト・アルヒクマ」でアラビア 語に翻訳、研究され発達したことを考えると、このことは理解できます。古代世界の文化~ギリシャの文化~バクダット「知恵の館」でアラビア語に翻訳~トレ ドでロマンス語への翻訳;この知識の大きな流れが、装飾様式にも表れるのです。「バロック」の本質がこの流れの中にあることを、数ヶ月のデザイン作業を通 じ、今回再確認しました。」(装飾文化史;「バロックを彫りながら」)
 

17世紀、バロック時代の石留めは、主に「ローズカットのダイヤモンド」を植物文様の金属に彫り留められたものでした。そのため、金属の重厚なイメージがあります。

 

「ジュエリー文化史;Stone Setting(石留め)」、装飾文化史;「バロックを彫りながら」補足

 

 

 

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