形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

レポート;目黒 空中庭園の古墳とMegalithic

 

 

 

目黒の空中庭園に行った。青空の中、浮き立つように「土佐水木」が咲き誇っていた。高知県の限られた場所にだけ自生している珍しい植物だそうだ。珍しい品種の「桜」もかわいい。お花好きには嬉しい庭園です。

 

 

高揚して坂を上っていくと、いきなり小さな古墳が4基現れた。え! 何故ここに?

調べたら、この地には「池尻古墳群」があったそうだ。郷土の記憶を留める試みなのかと想い、目黒区役所の担当職員のことを思った。

何気なく右端の奥まったところに目をやると、見慣れたものを見つけた。この時は素直に納得した。しかし、これまで残したのか!(3分の1位のレプリカだと思う・写真)

古墳の石室には、頭のところに「須恵器」と「壺」が副葬されていたとの事。北アフリカからブルガリアにやって来た「Vinca culture」の部族の埋葬方法です。だとしたら行動を共にしていた「コーカサスの部族」の「納骨塔」があっても当然です。

PetroさんのX投稿記事の気になっていた「加工された石」を拡大してみた。同じものでした。奥に円形の土台、右に「四辺形のNitch」がカットされた頭頂部、左に頭頂部を支え穴を作る湾曲したブロックが見えてます。組み合わせると、同じ形になります。

 

PetroさんX投稿記事 ;大土山 天の磐座神宮 磐座そばの加工石材

PetroさんX投稿記事 ;大土山 天の磐座

 

ブルガリア北部の「Varna 」では石灰岩の輪切りを積み重ねていました(写真・3)。「cernavoda culture」の部族に追われ、南部に移ると、石質が変わり、大変な作業になります(写真・1)。そこで考え出されたのは、ブロックを積んで作る「Nichi」です(写真8)写真。日本に現れた「納骨塔」は、ブロックを挟むことで、形を最初と同じようにしたものでした。

鳥葬の磐座もリアルに出来ています。大きな岩の中ほどをカットして凹みを作ります。

少し傾斜をつけて置き、水分を流します。写真のレプリカは水が溜まっています。日本でもブルガリアでも、下に排水の溝が彫られたはずです。

ブログはまだ執筆の最中です。予定より早く、目の前に現れてしまいました。

 

(3)Jauney of a Nomadic Family ;ブログ Megalithic 石造構造物(3)

 

 

(1)Hlyyabovo ;HUNE BED ;ブログ Megalithic 石造構造物(4)

 

(8)Perperikon ;wiikipedia ;ブログ Megalithic 石造構造物(4)

何故 見落としていたのだろう。左上に納骨の四角い穴が有ります。これで,この後の複合埋葬施設の形に繋がります。

巨石で囲った中に石のブロックで空間を作り、前面に「台形のNitch」そして上部に四角の開口部があります。「台形のNitch」でこの石の空間が、天の王女の子宮内、つまり現生と違うもう一つの宇宙であることを示し、「四角の開口部」でこの空間が「雨による平衡と豊穣の女神と冥界の女神が習合した女神」イシュタルの冥界であることを表象しています。

Megalithic・巨石構造物(4)の写真(9~11)、崖に「台形のNitch」を刻み、頂上に鳥葬用の「Stone-Sharapanas」と「共同納骨墓」がある複合埋葬施設の原型です。勿論「Perperikon」では「Stone-Sharapanas」は写真(7)で同じ施設にあります。つまり「Perperikon」が最初に作られた複合埋葬施設で、Megalithic・巨石構造物(4)の写真(9~11)がその完成形であったと考えられます。そして頂上に作られた「共同納骨墓」は「山形県 宝珠立石山 共同納骨ドルメン」や目黒の空中庭園にあるような形であろうと考えられます。

 


空中庭園、唐突に「大鷹飛来」の立て看板があった。匂わせすぎでしょう。武蔵野の猛禽類は「大鷹」と「フクロウ」だと思います。「大鳥神社」、「大鷲神社」、「フクロウ神社」因縁がありそうだ。

なおこのタイプの納骨塔が有るのは、人口の多い集落が考えられます。小さな集落では、ベッド状の磐痤と大きめの板石、あるいはカットして平面にした石を二つ立て掛けて作った洞穴状の三角Nitchが納骨の場所になります。この二つが揃っている場所は、鳥葬が行われていたと考えられます。三角は冥界の女神イシュタルの表象です。

 

この複合施設が解り易く観察できるのが愛媛県の立石山山頂です。円形の大きな磐座は中ほどがえぐられで低くなり、下部に溝を掘って雨や水分を流せるようになっています。

 

立石山山頂磐座・複合遺跡(ドルメンも含む)(参照)

 

ドルメン(共同納骨墓)

 

磐座左には「打欠きのあるMenhir」(参照)があるように見えます。この地に渡来した部族構成が多様であったことが分かります。勿論ふもとのMenhirと同じ概念を表します。鳥葬の場所で「子孫繫栄.多産」を願う。古代人の死生観が伺えます。

 

(4)Buzovgrad Menhir;TRAVELBULGARIAN News

 

 

山形県 宝珠立石山 共同納骨ドルメン;Koji-Kin s

eesaa.net

ブルガリアの石棺型Dolmenは、天の王女の子宮表象であるアーチ型の開口部を持つものが有ります。しかしこのDolmenは、コーカサスの部族が信奉するイシュタルの表象[輝く雨]の正四辺形開口部を持っています。アーチ型はそこから遺体を運び込めない大きさのものがあり、表象の意味が強いことが解ります。一方コーカサスの部族が石棺型Dolmenに開口部を造るのは、この穴から遺骨を納める実用的な目的です。もちろん表象も大事で、イシュタルの表象の形になります。この後に続く、コーカサス山脈西端のMaykop cultureでは、雨の○、輝く雨の⊡、女神の△が使用されています。以上の表象からの考察により、このDolmenはアフリカ出身のVinca culture部族のDolmenを借用して、コーカサス出身の部族が共同納骨墓として築いたものと考えます。近くに鳥葬のための磐痤があったはずです。上空から良く見える、山の上の岩場があるはずです。

 

Megalithic 巨石構造物(6)墓としてのDolmenの拡散(2)

 

 

Varna necropolis 人骨のゲノム解析

 

(1)紀元前4,500年頃の、世界最古の金の宝飾品を含む、エリート男性の埋葬地の復元。Wikipedia

Genetics

The elite male from Grave 43(c.4495BC)belongedto the paternal(Y-DNA)haplogroupT-M184 and the maternal(mtDNA)haplogroupU2.

Other male samples from the Varna necropolis belonged to the Y-DNA haplogroups I2a1, I2a2, G2a, T1a, E1b1b and R1b-V88

wikipedia

 

「Varna necropolis」人骨のゲノム解析によると、地中海と北(北東)アフリカ海洋民のゲノムが大勢を占めていることが解かりました。詳しく個別のDNA haplogroupを見ていきます。これまで調べたコーカサス部族の歴史や文化、さらには「共同納骨墓」(参照)を考慮に入れるとその全体像が理解出来るはずです。このことは、「墓としてのDolmenの拡散」を理解するうえの出発点になります。    

 

 

(2)Hapurogroup T-M184; wikipedia

 

(2)Hapurogroup E1b1b; wikipedia

Varna necropolis人骨のゲノムが分かったことにより、これまで様々な方法で試みてきた東ブルガリアのBC7,000年以後の歴史が、スッキリとまとまりました。この地域の歴史を創った部族の注目点は、[Horn of Africa]に有りました。Varna necropolisで黄金に囲まれて眠る人物のルーツです。T-M184のゲノムから検証していきましょう。

このまま続く

 

(3)Horn of Africa; Reseachgate; wikipedia

(4)Menhir in Ethiopia; wikipedia


f:id:blogwakujewelry:20180909212958j:plain

()Late Cucuteni culture,w Ukraina ;c 3,800~3,600BC

        The Language of GODDESS

 

(28)和久ノート(参照)

 

(1)Menhir(立石)at the village of Oveharovo,Haskovo;MEGALITHIC BULGARIA VAGABOND(参照)
何故かMegalithic 巨石構造物(1)にリンク出来ません。過去のXやブログでご覧ください。重要です。

生名島メンヒルは同じルーツですね。

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