形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

黒海大洪水(4)

 

 

古代ヤギの骨からDNAを抽出するために骨粉を採取している様子
環境学研究科地球史学講座の大西敬子さんが、このテーマで修士研究を行いました。

 

名古屋大学大学院・門脇誠二研究室が行った「家畜ヤギの西アジア起源説の検討ー古代DNAの系統解析」(参照)によると「家畜ヤギの由来は西アジアのパサンという野生ヤギにほぼ限られる」そうです。ヨーロッパも同じ系列ですから、農耕牧畜は西アジアから淡水黒海の湖岸を辿りコーカサスーDniesuter river流域へと伝播して、黒海大洪水(BC5,600年頃)後にポーランドからヨーロッパに拡がったのは確かなようです。現存するコーカサスの農耕牧畜遺跡からすれば、西アジアからコーカサスへの伝播に2,000~3,000年の空白があるのは、湖岸の低地を伝播していったと考えれば理解できます。現在見つかっているコーカサスの農村遺跡はShulaveri-Shomu cultureの遺跡で高地にあります。低地で根付いた農耕牧畜は時間をかけて高地に拡がっていったと考えれば空白は埋まります。そしてBC5,600年頃、コーカサス低地は海に沈みます。

門脇誠二研究室が調べた二つの遺跡は黒海大洪水(BC5,600年頃)の前後に当たります。ハッジ・エラムハンル(BC5,950~5,800年頃)とギョイテペ(BC5,650~5,450年頃)です。この二つの遺跡の炭化植物の年代測定と二つの遺跡の居住形態の研究は非常に価値のある研究です。

 

まず二つの遺跡が黒海大洪水(BC5,600年頃)をまたいでいないことが重要です。

ハッジ・エラムハンル(BC5,950~5,800年頃)は大洪水の後、居住されていません。私の推論を述べます。BC6,000年頃に西アジアでも家畜の移牧(夏と冬の移動)が始まっています。(参照)コーカサスでも移牧が始まり、夏季の移動地としてハッジ・エラムハンルは住まわれたのではないでしょうか。大洪水は低地に居た時に起き、被害を受けたとすれば、高地に戻る住民はいなくなります。

一方、大洪水で生き延びた部族は高地に逃れ集落を築きます。それがギョイテペ(BC5,650~5,450年頃)です。

 

もう一つの門脇誠二研究室からの大切な情報は、両遺跡とも続けて居住されていないという事です。ハッジ・エラムハンルは夏季だけの移牧地ですから、半分住まわれていません。冬季、空き家となった土の住居の風化は想像出来ます。問題は大洪水後に居住されたギョイテペ(BC5,650~5,450年頃)の方です。

私はこの情報に、やっぱりそうだったのかと納得しました。ジグソウパズルのパーツが見つかりました。Chalcolithic(金石併用時代)(参照とすぐさまリンクしました。

今まで不思議でした「何故、コーカサスの冶金技術を持つ部族は世界の金鉱脈のある地に現れるのか」

これで良く解かりました。冶金技術を開発した部族は、交代しながら金鉱脈を探す長い旅に出ていたのです。そして見つけた金鉱脈の地に、彼らの部族と彼らの表象が現れます。それはBC4,500年頃であり、ギョイテペ(BC5,650~5,450年頃)の集落放棄と重なります。

コーカサスの大洪水前の低地では既に金属加工技術が完成していました。その証拠は現在のアゾフ湾に大洪水前には居住していて、洪水を逃れて築いたDnieper-Donets culture(BC5,000~BC4,500年頃)(参照)の複数の墓所から「銅の装飾品」が出土していることです。Dnieper-Donets cultureの領内からは、銅の加工場や銅製工具など見つかっていません。「銅の装飾品」だけなのです。銅の加工技術を持っていれば、斧などの生活道具を先に製作するでしょう。考えられるのは、大洪水以前にコーカサスの部族と交易で手に入れたことです。

コーカサス低地は海の底です。どの程度の冶金や加工技術を持っていたのかは分かりません。ただコーカサスから金鉱脈のある土地に移動した部族(ミトコンドリア・ハプログループG中心)は、石を切る「銅製斧」を持ち、金、銅の冶金技術、金属加工技術を持っていました。Dnieper-Donets cultureの「銅の装飾品」とコーカサスの「銅製斧」の間を繋ぐ遺跡、遺物の発見が待たれます。ただDnieper-Donets cultureの「銅の装飾品」は、自然銅であっても、銅の加工技術が大洪水前に完成していたことを証明します。

Shulaveri-Shomu culture以前のコーカサス低地の存在が考えられるのです。

Shulaveri-Shomu cultureと海に沈んだコーカサス低地の研究が進むことを望むのみです。

もう一つのお願いです。

門脇誠二研究室でハッジ・エラムハンル(BC5,950~5,800年頃)とギョイテペ(BC5,650~5,450年頃)に分けて、ヤギの骨の安定同位体解析結果が出せませんか。黒海大洪水の前後の遺跡の変化が分析できます。

 

(14)和久ノート

 

© 2019 JOJI WAKU Blog. All rights reserved.