黒海大洪水
黒海大洪水以前にドニエステル川(Doniesuteru river)からコーカサス平野(Caucasus Plain)の間に長い期間栄えていた、文化圏を考えてみました、地域差を持ちながら土器や初期農耕、漁猟、狩猟などに共通項を持ち、交易が盛んだったと思われる一帯です。当時拡張を続けていたアフリカ系のStarcevo cultureの部族がドニエステル川(Doniesuteru river)以前までしか進出出来なかった理由となっていた文化圏です。
(9)黒海大洪水前後の諸文化・避難文化から考えられること
このマップを描くにあたり類推した諸条件は以下の通りです。
1.尖底土器
2.初期農耕、動物の家畜化
3.銅製装飾品(Dnieper-Donets cultureの墓所)
4.遺伝子
5.土器表象
6.発酵食品
1.尖底土器
淡水黒海の湖沼地帯での暮らしには,写真(8)Dnieper-Donets culture(大洪水後BC5,000~4,200年頃)の初期に残っていたと考えられる尖底土器(pointed bottom pottery)が標準的な土器であったと考えられます。バランス良く水に浮く形態は写真(13)のように穀物やワインなどの水上運搬に役立ったはずです。そのことはギリシャ時代のワイン用アンフォラの形からも確認出来ます。
また水辺から離れた地域では、安定して置ける平底土器が使われることも写真(6)Pottery of Dnieper-Donets cultureなどで分かります。洪水から逃れて住み始めた内陸では土器が平底に変化しています。写真(11)Pottery of Bug-Dniester culture(BC6,300~BC5,000年頃)では内陸は黒土地帯で農耕が盛んであり、ドニエスタ川河口近くでは尖底土器が便利、と両方が使われています。土器表象も尖底土器はドニエステル川(Doniesuteru river)からコーカサス平野(Caucasus Plain)の間に共通したシンプルさが見られ、内陸部はkoros-cris culture(BC5,800~5,300年頃)やStarcevo culture(BC6,200~4,500年頃
)の影響を受けて「sheveron」,曲線が強く感じられます。
ドニエステル川(Doniesuteru river)からコーカサス平野(Caucasus Plain)の間は、Doniesuteru riverからDnieper riverでは「雨」、実線の「sheveron」。
Dnieper riverからDonets riverでは「雨」、長点線・雨で出来た「sheveron」。
Caucasasus地方では点線「雨」のみ。の様に「sheveron」の伝播状況が変化します。
ところが写真(12)Linear pottery sitesで農耕が始まる少し前の土器片を復元したら、ほとんどが尖底土器であったようです。黒海大洪水でいち早くDoniesuteru riverからBug riverでポーランドに逃れ、ヨーロッパ北部に移動した部族は、尖底土器を使っていた写真(9)の水没したウクライナ沖にいた部族であったようです。古くから内陸にいた Bug-Dniester cultureの部族はStarcevo cultureの部族がドニエステル川を超えてモルダビとウクライナの大きな一部にズールー概念の大都市Ccuteni-Trypillia culture(BC5,500~BC2,759年頃)を築いた地域を除いては、その場に留まったようです。
他にも尖底土器(pointed bottom pottery)から解ることがあります。写真(10)Shulaveri-Shomu culture(BC5,600~BC4,000年頃)のブドウを発酵させるワイン壺です。Shulaveri-Shomu cultureはコーカサスの平野地域から避難した場所です。平野部でもワイン作りは遅くてもBC6,000年頃には始まっています。壺にブドウの潰したすべてを入れて、土に埋めて自然発酵させる方法です。最初は日常的に使っていた土器が使われたと思いますが、そこからワイン作り専用の形が生まれたと考えます。写真の壷には目立った特徴があります。開口部を「雨」で取り巻き、4分割の位置に「葡萄のエンブレム」が見られるのです。おそらく葡萄で満たした壷を具象的に表現しています。そしてこの目印はワイン作りだけでなく、貯蔵や運搬用土器にも入れられていたのではないでしょうか。
写真(7)Linear Pottery in Polandを見てください。ほとんどの土器はアフリカ由来(Starcevo cultureの影響)の大きな曲線の文様ですが、下2段は明らかに様子が違っています。開口部を「雨」(下から2段目はなし)が取り巻き、4分割の位置にエンブレム」があります。明らかにコーカサス(Caucasus)のワイン壺と同じ意匠です。ポーランドはbug riverの下流域ですからBug-Dniester culture(BC6,300~BC5,000年頃)の大洪水以前(黒海大洪水・BC5,600年頃)にはコーカサス(Caucasus)のワインが運ばれて来ていたことが十分に考えられます。もちろんポーランドのワイン貯蔵壷はポーランドで作られたため平底です。農耕の始まりもコーカサスでBC7,000年頃でBug-Dniester cultureではBC6,300年頃に始まります。コーカサス(Caucasus)からの伝播です。内容については後述します。写真(9)の左上がポーランドです。
大洪水以前のコーカサス(Caucasus)ワイン壷のエンブレムはポーランドのようなシンプルな形だったことも考えられます。
さらに写真(11)Pottery of Bug-Dniester cultureの左下の典型的な尖底土器(pointed bottom pottery)の4分割の位置には「雨」の装飾が付いているのが見えます。
このような土器表象の共通点は、同じ大きな文化圏であることを認識させます。淡水湖時期のコーカサスとポーランドは、地理的にもアクセスしやすい位置関係にありました。
(10)Shulaveri-Shomu cultureワイン壺;GRAPE SURVEY AND EXCAVATIONS
(8)Pottery of Dnieper-Donets culture; Download Scientific Diagram
(7)Linear Pottery in Poland; Krzysztof Bukowski Download Scientific Diagram
(11)Pottery of Bug-Dniester culture; Erenow First Farmers Herder the pontic-caspian Neolithic
(12)Linear pottery sites;Explorerweb Enews Pottery Pre-Dates Agriculture in Eurasia Sam Anderson
(13)形態的に水に浮くことを利用したPointed potteryの水上運送考察
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