形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

Magura CaveとOzieri culture(10)女神たちの表象

 Beaker pottery cultur ; Funnel beaker(ca.4,000~2,800BC) & Bell beaker(ca.2,600~1,900BC))

 

(38)Funnel beaaker pottery; Cradle of Civilization

 

東のステップ草原から侵入して来た「Cernavoda culture」の部族によって、バルカン半島ドナウ川流域に文化を築いていた、北アフリカの部族(サハラ草原の乾燥化を逃れ北上)とコーカサスの部族(金属冶金技術を持ってやってて来た)は西に押し出されていきます。

 

(39)「Cernavoda culture」の侵入

 

「Cernavoda culture」の侵入以前に「Starcevo culture」(参照)の西領域にいた部族は「Vinca culture」(参照)の北上によって、ドナウ川中流域に押し上げられていました。その部族の文化を「Lengyel culture」と呼びますが、次々と場所の移動で文化名を変えるのはあまり好ましくないと思います。歴史の一番大切な連続性が失われます。「Starcevo culture」の「Vinca culture」に接して影響を受けた文化を「Sopot culture」とも呼びます。しかし、理解の上では移動した西領域の「Starcevo culture」の部族とその地域差と考えると解り易いです。写真(40)の地図は正確ではありませんが、大体の位置関係が分かりますので見てください。この地図は「Cernavoda culture」の侵入直前です。よって「Lengyel culture」はまだドナウ川中流域周辺だけになります。「Stroked pottery」はまだ前身の「Funnel beaker pottery」です。「Cernavoda culture」の侵入を受けて「Lengyel culture」は北上し「Funnel beaker pottery」の部族と融合していきます。この時期「Funnel beaker pottery」は「Stroked pottery」になります。この場合は形態、装飾の変化を伴います。

Pottery名をを整理します。

黒海大洪水で「Starcevo culture」の東領域にいた部族はDonieater riverを渡って侵入し、ウクライナモルドバルーマニアに「Cucuteni-trybillien culture」の集落群を築きます。この時、ポーランドからウクライナに至る地域に文化を築いていた「Bug-Dniester culture」(参照)の部族はポーランドから中央ヨーロッパに農耕牧畜の文化を持って広がります。最初は湖畔特有の尖底土器文化であつた彼らも、内陸の生活に合わせて土器を変化させていきます。その土器の総称を「Linear pottery 」と呼びます。

このヨーロッパに拡がった「Bug-Dniester culture」の部族の土器文化「Linear pottery 」が、4,300BC年頃から形態的に変化します。「Funnel beaker pottery」と呼ばれる写真(38)の形です。

この変化については色々考えてきました。そして形態的な土器の歴史が繋がっていく説明にやっと行きつきました。

 

(40)Lengyel culture(ca.5,000~4,000BC),sopot (ca.5,500~3,800BC)culture; wikipedia

 

「Funnel beaker pottery」は井戸の水をくむための形態でした。「Funnel(ネック)」のところに紐を結ぶための形態です。それを証明する研究がなされていました。

この時期に井戸が掘られるようになります。写真(41)

そしてやがて「Stroked pottery」が作られます。「Stroked pottery」とは土器に紐を付ける「取っ手」を付けることによって、「Funnel(ネック)」は必要なくなり、「Funnel(ネック)」を紐で結んだ習慣がネックの紐文様になった土器で、「Funnel beaker pottery」と同じように「Linear pottery 」の形態違いです。コロコロ名前をつけすぎです。つけるならきちっとした説明を長い歴史の流れの中で説明すべきです。

最後に「Bell beaker pottery」とはこれら様々な「Linear pottery 」の汎用形で「Cardium pottery culture」の海洋民の活動によって広くさまざまなアフリカ部族のヨーロッパに伝播した土器です。最後は「王女の子宮」の形です。

さらにこの時期に「Cernavoda culture」の侵入が起こります。「Vinca culture」の部族は南の山岳地帯に逃れますが、ドナウ川周辺にいた部族はドナウ川中流域に逃れ、「Lengyel culture」の部族を押し上げます。「Linear pottery 」の部族と「Starcevo culture」や「Vinca culture」の部族ではDNAに明らかな違いが見られます。(History and genetics of the funnel-beaker culture-Eupediaによる)

「Linear pottery 」の部族は北アフリカからジブラルタル海峡を渡り、上部マグダレニアン期の終わり頃に東進してポーランド・Bug riverからDniester river、淡水黒海沿岸に居住した古アフリカ(Palaeo African)とコーカサスの部族の遺伝子(G2a)を持っています。

「Starcevo culture」や「Vinca culture」の部族は新しいアフリカ北西部やサハラ以南のDNAを持っています。「Funnel beaker pottery」の中には10数%の「Starcevo culture」や「Vinca culture」の部族のDNAが存在するようです。

日本人のヒトゲノムを分析した研究者は、このヨーロッパの様に様々なアフリカ部族のDNAを見つけたのではないでしょうか、今のところ明確な説明がなされていません。

 

(41)Neolithic wells representing the expansion of the Linear Pottery culture ;Elburg 2011 Tegel et al.2012/INSTITUTE OF ARCHAEOGY OF CAS<Prague

 

(42)Neolithic wells representing the expansion of the Linear Pottery culture ;Elburg 2011 Tegel et al.2012/INSTITUTE OF ARCHAEOGY OF CAS<Prague

 

(43)Funnel beaaker pottery; wikipedia

「Funnel beaaker pottery」の領域と「Bell beaker pottery」の領域を比べてください。「Funnel beaaker pottery」の領域とMegalithicの部族、つまり「Cardium pottery culture」の海洋民、冶金技術を持つコーカサスの部族更に「Cernavoda culture」に追われた北アフリカの数部族を加えれば「Bell beaker pottery」の領域が出来上がります。この広範囲に共通の文化を作る‼️にはMegalithicを伴う「Cardium pottery culture」の海洋民の連絡網が重要な役割を果たしました。

 

(44)Bell beaker pottery; wikipedia

 

(45)「Bell beaker pottery」;Wikipedia

 

もう「Funnel(ネック)」は必要なくなった時期、ドイツの最北州に現れた土器です。

明らかに違う目的のために作られています。Megalithic墓地の副葬品になります。

日本の古墳文化と深い繋がりを感じます。

 

() Megalthic Funnel-shaped  cup; Archaeological Museum of the Federal State of Schleswig-Holstein Gottorp Castle. TOP WAR August 18 2015

 

() Megalthic Funnel-shaped  cup; Archaeological Museum of the Federal State of Schleswig-Holstein Gottorp Castle. TOP WAR August 18 2015

 

 

()Megalithic; wikipedia

 

 

 

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