ヴィーナスの表象;生命誕生の表象・渦巻
渦巻が「生命の誕生」の概念と結びついたのは北アフリカだと考えます。やがて巻貝(特に赤い巻貝)をその表象物として身に着けるようになります。(参照1)(参照2)
この「巻貝の文化」はそれまでに知られた海沿いと海路を辿り、日本列島にも伝わっています。
渦巻「生命の誕生」の概念が金属(銅製)の装身具(多くは副葬品として)として初めて作られたのは、ハンガリーの「Tiszapolgar culture(4,500~4,000BC)」(参照)です。
この金属の渦巻装身具の伝播は、「Cernavoda culture」(参照)の部族の侵入により移動した「Tiszapolgar culture」(Tisza cultureも含む)の部族を示します。それは、日本や朝鮮半島南部に伝播した経路も示すはずです。詳しく見ていきましょう。
(31)copper spiral ornament「Tiszapolgar culture」;Wikipedia
(50)写真(51)の出土地;他にCaucasus(コーカサス)を含む
(51)Bronze(一部Coper?)渦巻の装身具;PRIMITIVE AND FOLK JEWELRY Dover
(4)北イタリア・Lake Galda(ガルダ湖)で見つかった渦巻のピン;PRIMITIVE AND FORK JEWELET Dover(参照)
(3)Camonica Valleyの岩絵;CAMONICAVALLEY Emmanuel Anati KNOPP
「渦巻」は「産道通過の回旋」を表象しているのは確かで、出産を素直に観察したことで生まれた表象でした。
まづは、ハンガリーの北部、ルーマニアの山岳部にそのまま残った部族を見ていきます。
最近ハンガリーで、先史時代のばらばらに分散した集落の集合体遺跡が衛星写真で確認されたと報じられたそうです。「Cernavoda culture」部族の侵入時に山岳地帯に逃げた部族がいたようです。そのことはハンガリーで青銅器時代(Bronze age)の渦巻装飾品が見つかっていることで証明されます。「Arva」,「Salgo-tarjan」,「Upper hungary」で見付かった青銅製渦巻装飾品は、銅製の時代とほとんどデザインを変えていません。青銅器時代までの集落の存続が認められます。ところが写真(52)は同じダブル渦巻ではあるものの、強い「〇と十字表象」(参照)への拘りが見られます。これはTartaglia clay plate(タルタリア粘土板)で分かるように「Starcevo culture」の表象です。ハンガリー北部には「大きな渦巻」に拘りを持つ「Vinca calture」,ルーマニア(斜線地域)には「Starcevo culture」の部族が、冶金技術を持つコーカサスの部族とともに「Tiszapolgar culture(4,500~4,000BC)」(参照)を構成していたようです。
(52)ハンガリー青銅製の渦巻装飾品
(20)Tartaglia clay plate(タルタリア粘土板); BC5,500~BC4,500(新石器時代),
Tartaria,Alba County,Romania(ルーマニア)
Discovered by the archaeologistTHE Nicolae Vissa in 1961
(53)ハンガリー、Salgo-tarjan
この時、渦巻の金属装身具を持って移動した中心部族だと思われるのは、ハンガリー、ルーマニアで金銀銅を採掘していた、「Vinca cultureの部族」と「Varna cultureのコーカサスの部族」です。アルプスの南北山麓に移動した彼らは青銅製渦巻の装身具を作っています。オーストリアの「Hallsttat」(ケルト語・塩の町)では「Varna culture」で「コーカサスの部族」が始めた塩の採掘と交易を再開しています。北イタリアの「Hallsttat era」とは「塩の町 時代」ですから、後にこの地を征服したケルト人は、「Hallsttat」と同じような集落を見たのかもしれません。両方の文化は似ており、交流が認められます。銅器を持ち、サルディーニャ島のDNAを持った「アイスマン」はイタリア・オーストリア国境近くのアルプス山頂で見つかりました。そして、この山岳文化の特筆すべきは木工細工と木造建築物です。
中央の家の屋根にニワトリがいます
(54)北イタリア、「Camonica valley」岩絵の建築物;CAMONICAVALLEY Emmanuel Anati KNOPP
(55)木造建築に金属線渦巻 唐古・鍵遺跡;wikipedia
この遺跡にも、日本で初めての鶏の骨、鶏のテラコッタが見つかっ ています。
北イタリア、ポー川流域では、この後BC3,ooo年紀頃から「稲作」が始まります。湿地帯では、丸太の杭を何本も打ち込み、その上に丸太を並べ家を建てた遺跡が見つかっています。日本でも岡山県の弥生遺跡に同じような杭が見つかっています。
「稲作」に関しては、これまでの探索では、トルコ、カッパドキアの北方、ラズ語圏の淡水黒海沿岸部が原産地ではないかと考えています。現在の北イタリア、アドリア海からフランス南岸の稲作地帯は、当時の「Cardium pottery culture」の海洋民がもっと古くから活躍した領域に当たります。地中海の「稲作は」「Cardium pottery culture」の海洋民が伝播させたと考えられます。
写真(50)を見ていて、気になるのはドイツで見つかった青銅製渦巻装身具です。オーストリアに東端を接するトーマ湖から、アルプスを北に流れ下ります。この流れに沿って移動した「Vinca culture」と「コーカサスの部族」がいたことです。
彼らはハンガリーから陸路で移動してきたのでMegalithicの文化は持っていません。しかし、ドイツ北端の地で同部族の海洋民が伝搬して来たMegalithicに出会い、Megalithic tomb(支石墓)に副葬する為の明確な概念を表象した土器を完成させます。
(47) Megalthic Funnel-shaped cup; Archaeological Museum of the Federal State of Schleswig-Holstein Gottorp Castle. TOP WAR August 18 2015
下部が重なる円環の円錐形、上部は「王女の子宮」を表象しています。円筒埴輪と同じです。
(48) Megalthic Funnel-shaped vessl; Archaeological Museum of the Federal State of Schleswig-Holstein Gottorp Castle. TOP WAR August 18 2015
ズールーの概念・王女の子宮を表象する土器
(49)Megalithic; wikipedia
もう皆さんお判りでしょう。日本で言う「須恵器」です。別に珍しいものではありません。バルカン半島に北上してきた「Vinca culture」の部族は、王女の子宮を表象する壷を副葬していました。
(56)A typical male grave with Tiszapolgar pottery