形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

Magura CaveとOzieri culture(9)女神たちの表象

 

Cernavoda cultureの到来と西への逃避

 

(33)銅器時代、BC4,000年少し前のSetellments(居住地);THE LANGUAGE OF THE GODDESS Marija Gimbutas T & H

 

 

(34)BC4.000~BC3,000年頃 ステップ部族の進出;wikipedia

 

写真(33)と(34)を比べることでBC4,000年頃に起こったCernavoda cultureの到来とStaecevo culture,Vinca culture,Karanovo culture,Varna culture(Varna culturとKaranovo cultureの融合した文化をGumelnita cultureと呼びますが、融合の状態で何期にも分かれ、解りずらいので両文化のままで表示します。出来るだけ以前からの部族名を使った方が連続性が保てます。)の部族達の逃避ルートを考えます。

写真(34)で見るようにCernavoda cultureの部族はCucuteni-Trybillian cultureの部族を北に押し上げるように黒海沿岸を南下して、ドナウ川を西に進んでいます。ステップ草原の部族は険しい山岳地帯には進出していません。このことも各部族の逃避地を決める要因になっています。

そしてまた、部族達の大移動はヨーロッパと地中海地域に大きな文化の変動を引き起こしています。地勢学的な見方と文化の変動を合わせると、よりよく理解できると思います。また女神たちの表象は部族特定に役立ちます。バルカン半島に集った女神たちはどこに現れるのでしょうか。

ヨーロッパの研究者はこの問題に明確な答えを出したがりません。「中央ヨーロッパ最初の農耕民と狩猟採集民の文化」などよくわからない部族が現れます。丁度日本のDNAの研究者が朝鮮半島に拘り、太平洋沿岸への文化到来を認めたがらないのと似ています。

先ずは数々ある文化の変動を挙げてみましょう。

 

1. 墓としてのMegalithic(巨石)

Megalithicの始まりは北アフリカの部族が地中海の島々やヨーロッパに渡り、様々な概念の表象として巨石を立てたり、並べたことに始まります。しかし、墓としてのMegalithicはブルガリアに始まったようです。そしてもともと海洋民であったKaranovo cultureの部族によって地中海の島々やヨーロッパに人を伴って伝播します。墓としてのMegalithicの始まりは冶金技術を持つコーカサスの部族によるものです。ですから、墓としてのMegalithicには巨石に太陽が刻まれることがあります。ただし、私がこれまで考えていた、コーカサスの部族と巨石文化の関係には大きな誤りがあったようです。技術だけでは物は生まれません。Karanovo cultureとVarna cultureの協力関係がキーボードでした。「太陽と雨の平衡の女神」もこのルートで伝播しています。

 

 

(35)Aspects of the Megalithic Era;Newgarange.com Desmond Johnstone(巨石文化、世界で示してほしいです。日本にもあります。)

 

2.陸路の方では、「Funnel-beaker pottery culture」と3.「渦巻・spiral」が部族の移動を証明しています。

他にもいろいろありますが、解り易い以上の三点から見ていきましょう。

 

(36)Funnel-beaker pottery culture;wikipedia

(37)Spiral;PRIMITIVEANDFORKJEWELRY  Dover

 

このまま続く

 

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