形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

特別編 銅鐸 表象の解釈(2)

 

(1)北イタリア、camonica valleyの北方、アルプス山麓Cavenに立てられたmenhir

 

 

(2)和久ノート

 

銅鐸 表象の解釈(1)

(2)和久ノートと銅鐸 表象の解釈(1)を見比べてください。menhirの要素は日本の標準的な銅鐸と同じ構成であることが分かります。この場合は日常生活の絵がないだけです。重要な構成要素である「重なる王女の子宮」、「雨による平衡と豊穣の雨の女神」、「円錐形の円環と周期の重なり」、「安産多産のダブル渦巻」は共通項となっています。

ここで「渦巻」表象について確認します。私の以前からの仮説(参照)を証明しているcamonica valleyの岩絵を見つけました。

 

(3)Camonica Valleyの岩絵;CAMONICAVALLEY Emmanuel Anati KNOPP

 

「渦巻」は「産道通過の回旋」を表象しているのは確かで、出産を素直に観察したことで生まれた表象でした。

 

(4)北イタリア・Lake Galda(ガルダ湖)で見つかった渦巻のピン;PRIMITIVE AND FORK JEWELET  Dover(参照)

 

そしてもう一つの重要な構成要素を確認しましょう。銅鐸の「鈴」です。銅鐸の形を形成するためには、Cavenのmenhirに加わった「安産多産」表象の「鈴」の概念がが近くになければいけません。

ゲノム解析(参照)でも証明された様に、弥生時代に急に人口が増えた、つまり渡来人が上陸した徳島県の西部山間部に受け継がれてきた「神代踊り」にヒントがあります。一切の先入観を持たずに写真を見てください。文章や言葉はいかようにも作れます。だから形而下の遺物や遺跡を先入観なく見ると発見があるのです。

 

徳島県三好市ホームページ

 

(link)

http://blog.livedoor.jp/sarutahikomen/archives/79588591.html

 

サルデーニャ州公認ガイドのブログ(参照)

 

 

サルデーニャ州公認ガイドのブログ 

岩や小石に覆われたサルディーニャ島中部マモイアーダ村(Mamoiada)で行われるコルテス アベルタス(Cortes Apertas;中庭を開くの意味、おそらく神を迎えるが原義)の祭事に現れる「マムトネス・マムトーネス」です。羊飼いの装束で、羊に着けるベルをたくさん背負っています。牧畜民にとってはどう見ても、羊の多産をもたらす神だと考えます。ベルは羊の安産多産の象徴になっています。20代の頃カプリ島に行った時も「幸せのベル」の民話を聞いたので、帰国後本を買い求め調べました。群れを離れた大切な羊が、霧の中から聞こえるベルの音とともに数を増やして帰ってくる話でした。(最近の観光局のガイドでは、キリスト教の話になっています。よくあることです。話や歴史書は変えられます。参考程度にして、あらゆる可能性の中から思考するべきです。何十年も昔の本が正確な情報を提供してくれることはよくあります。)

弥生人ゲノムの多い、銅鐸が50個近く見つかっている徳島県の山奥に、「マムトネス・マムトーネス」が豊穣の神として伝えられてています。

サルディーニャ島、イタリア半島の牧畜民に「安産多産を表象するベル」が受け継がれていることは、砂漠化した北アフリカに同じ概念が存在したのだと考えられるでしょう。そして、四国の「マムトネス・マムトーネス」は弥生人による伝播と考えることが自然です。銅鐸が「鈴」の形をしているのは「安産多産の表象」だからだと考えます。。

ブログ「女神達の表象」では「雨と太陽による平衡の女神」を追って、サルディーニャ島、北イタリアに到達します。その時にまた見ていくことになります。

 

(5)Cavenの東Bormoに立てられたmenhir

 

さて困ったmenhirの岩絵が見つかっています。岩絵は表象の論理性を持ちません。同心円は「水」か「雨による平衡と豊穣の女神」を表象しますが、「男根」になっています。そして「重なる王女の子宮(宇宙)」に刺さっています。ズールーの概念を知る部族なら絶対に有り得ない図案です。しかし「多産の表象」であることは理解できます。

考えられることは、偽物であるか、ズールーの概念を理解しない部族が「重なる王女の子宮(宇宙)」を「単なる子宮」、「渦巻の男根」を「同心円の男根」だと考えて「多産」を表象しようとしたことです。

トータルで見れば「男根」になっています。日本の縄文時代にも「石棒」があります。しかしヨーロッパのmenhirでこのようなものは、調べてはみますが、見たことがありません。発見された場所がアルプスのスキーリゾートですし、図案の感性がデザイン的に洗礼されています、私は偽物のmenhirだと思います。

いずれにしても銅鐸の持つ概念体系はありません。

 

これからブログ「女神達の表象」に戻り、この地に至るまでの歴史を整理していきます。

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