和久ノート
次に銅鐸の作られた意味を明確に示す事例を示します。重要な研究論文です。
銅鐸埋納
イワクラ(磐座)学会 研究論文電子版 2015年2月26日掲載
「銅鐸の身は鈕側より見ると銀杏形であり、
鰭の方向が長軸になるため、土坑に寝かせて置く時に
鰭垂直は鰭水平に比べて安定性が悪い。(図2参照)
ごく自然に置くとすれば鰭水平にならざるを得ない。
それを敢えて選ぶのは
ある種の意志が働いているとみるべきであろう。」
(図2参照)
非常に重要な指摘です。そしてこの向きにすることで「和久ノート」で見逃していた銅鐸の表象が正しく見えてくるのです。(参照)
(13)和久ノート
つまり、「上部マグダレニアン(Superieur Magdale'nienne) 文化」とCardium pottery cultureの融合で地中海海洋民に伝播した「雨による平衡と豊穣の女神」を表す「生殖器」に形作られていたのです。この表象は北アフリカ・ズールーの概念を持つ部族に伝播して、ズールーの槍型、盾型など重要な表象となっています。
こうして銅鐸全体を解釈すると「安産多産の概念が強い雨による平衡と豊穣の女神」となります。
この解釈にたどり着いて腑に落ちた表象があります。それは「亀」表象です。上部マグダレニアン期、「雨粒・〇」と「平衡のCheveron・Vx4」で「亀」の絵型を作り「雨による平衡と豊穣の女神」を表していました。銅鐸絵に表された「亀」はこれまで見たことのないものでした。
和久ノート
人々の日常を描いた周期の枠内に、現生の女神として現れる「亀」、「トカゲ」は「ズールーの槍」と「平衡」の表象の姿をしています。銅鐸に込めた「安産多産」、「子孫繫栄」の願いが読み取れます。
徳島県埋蔵文化財センター年報/vol.4 1992年度(HP1)より 銅鐸は鰭を上下にして立て、 横倒しになった状態で出土した。 銅鐸は周囲を黒色の砂質土によって包まれており、 さらにその外側には褐色の砂質土が取り巻くという、 非常に丁寧な方法で埋められていた。 また銅鐸の鐸身内部には 心棒状に黄色の砂質土が存在し、 黄色の砂質土と鐸身との間に 黒色の砂質土が存在していた。 周辺からは銅鐸埋納坑を取り巻くようにして 7ヵ所の柱穴が検出された。 柱穴の規模は、それぞれ直径が15~30cm、 深さが約20cmほどであり、 規模が揃っていることや配列の関係からみて、 7本の場合は立柱列、 6本が利用された場合であれば 棟持柱を有するおよそ一間四方の 建物の存在が想定される。 |
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図1 徳島市矢野遺跡 突線鈕5式の最新型銅鐸(文献1①) 銅鐸の周りを囲むように7つの柱穴が見える 全長97.8cm、重さ17.5kg |
銅鐸を守るように建築物が建てば、そこは人々が「安産多産」、「日常の平穏・家内安全」、「豊穣、豊漁、豊猟」などを祈る場所になります。そうです「神社」の原型です。
太鼓橋
和久ノート
銅鐸にはダブルの渦巻(参照)の簡素化された表象も見られます。神社に太鼓橋がかかっている意味は安産多産の表象だったのです。鯉のぼりに関しては、江戸時代中頃、端午の節句に家督を継ぐ跡取りの誕生祈願を武士がしたことに始まるようです。鯉の鱗に「安産多産の表象」を描いた絵師は解っていたのでしょうか。知る術はありません。ですから、もちろん鯉は一匹です。明治生まれの父親でしたから、末っ子の私は、鯉のぼりが長男のものである事を感じていました。良くまとまった説明はこちらから(参照)。
振り子について
銅鐸の振り子の図面を探していて、的を得た銅鐸の謎の指摘が面白い記事を見つけました。是非ご覧ください。
銅鐸の謎を探る(日本書紀に記述のない銅鐸の秘密)(参照)
日本書紀に記述がないことも銅鐸の意味を際立たせています。民衆の「雨による平衡と豊穣の女神」への願いが、社会構造の中央集権化を進めようとする権力者にとって、好ましくないものだったのでしょう。神話の世界には違う女神がいます。女神については次に書きます。
先ずは銅鐸が鈴だったことについてです。上記の論文のイラストの中に「先漢式小銅鐸」があります。限りなく「鈴」です。つまり銅鐸は「鈴」に共同体で願いを込めるために発達していったと考えます。「鈴」は「入れ子」の表象です。「土鈴」の頃より、「入れ子」は「妊婦」の姿です。これまで見てきた事柄にも「安産多産」の願いが表象を形作っていました。「銅鐸」は最初から「安産多産」を祈願する為に作り出されたのです。
銅鐸の神
(32)和久ノート;清水風遺跡の壺絵・イシュタルとゴルゴン 冥界の鳥女神・イシュタル
弥生時代の最も重要な遺跡である、奈良「唐古・鍵遺跡、清水風遺跡」の壺絵には、ブルガリアの「Magura Cave」で生まれ、サルデーニャ島でゴルゴンにもなり、北イタリアでのインドヨーロッパ語族との戦いで「戦う太陽の女神(ゴルゴン)」となった女神が描かれています。バルカン半島の「生と死の鳥女神」も描かれています。けれど銅鐸に登場することはありません。銅鐸に現れるのは上部マグダレニアン期の「雨による平衡と豊穣の女神」とその表象だけです。
和久ノート(13)に見るように、上部マグダレニアン期の表象は女性器からのものが多く、生命の誕生が豊穣に結びついています。獲物が増えることへの願いです。そしてこの「雨による平衡と豊穣の女神」に「冥界の女神」の神格が加わったのが、コーカサス生まれの「イシュタル」です。和久ノート(13)の女神たちは「イシュタル」から変容しています。つまり、「冥界の女神」の神格を持っています。骨壺に描かれても、銅鐸に現れない理由だと考えます。
それともう一つの理由が考えられます。上部マグダレニアン期の「雨による平衡と豊穣の女神」は全ての女神の原初の神格です。縄文時代に北方ルートで日本に伝播していました。北海道・手(雨)宮洞窟(参照)です。そして日本の土偶の多くはこの女神です。
色々な部族のいる渡来民だけでなく、縄文人までもが等しく願いをかけられる女神なのです。
重なる子宮の宇宙
ROMANESQUE ULLMANN & KONEMANN
「重なる王女の子宮表象」を見るたび、過去に何度も見てきた感覚がありました。やっと思い出しました。ロマネスク様式の教会でした。もちろんパリのノートルダム大聖堂も重なる彫刻の正面エントランスが見事でした。インドヨーロッパ語族のDNA(R1b)にヨーロッパのほとんどが置き換わっても、キリスト教の世界になっても、「王女の重なる子宮表象」は使われ続けています。被征服者の表象を組み入れることも、集権体制を築くうえで重要な施策なのでしょう。特にヨーロッパではそれまでの部族の女性に、ハプログループR1bの男性が子供を産ませることで、遺伝子の置き換えをおこないました。
それとも、教会の中は、神の国という別の宇宙だと表現しているのでしょうか。
王女の子宮という現世宇宙の中、円環から生まれる周期が積み重なり、子孫繫栄してゆくためには「安産多産」が一番の願いだったのでしょう。当時の出産は大変な危険を伴いました。
福井県井向銅鐸
以前にも取り上げた、他と違った構成を持つ銅鐸です。さらなる資料も見ることが出来、やっと全体像が見えてきました。冥界の女神が描かれた唯一の銅鐸ではないでしょうか
井ノ向1号鐸の絵画;福井県史通史編1 原始・古代
銅鐸の中心にはダブル渦巻きx2x2が描かれています。安産多産の表象です。
和久ノート
上から下に、誕生から死という人の周期を表し、ズールーの概念・積み重なる周期を表す「櫓・やぐら」が描かれています。日常の豊穣場面は鹿の狩猟で、狩猟民が多い共同体であったようです。表象はズールーの概念とコーカサスの概念が混じりあっています。両部族の融合体であったようです。
重なる王女の子宮、二つの渦巻、ズールーの槍型生殖表象、亀とトカゲ(雨による平衡の女神)、周期のやぐら などがズールーの表象です。
△連続文、イシュタルの舟、イシュタル(ゴルゴン姿・冥界の女神)はコーカサスの部族の表象です。
一番上に「出産場面」を多数描き、周期を重ねるための「安産多産」を願うことは他の銅鐸と同じであったようです。