「上部マグダレニアン(Superieur Magdale'nienne) 文化」とCardium pottery cultureの融合
(13)和久ノート
(14)Leroi Gourhanによる南仏洞窟壁画チャート
PAINTED CAVES ANDREW J. LAWSON
Leroi Gourhan氏の南仏洞窟壁画チャートを「雨の女神」誕生の時系列にまとめてみました。私は写真(15)などの影響でイタリア半島を北上したアフリカ大陸の新人(ホモサピエンス・サピエンス)はヴィーナス像を作り、ジブラルタル海峡を北上した新人は主に洞窟壁画で雨や雲、獲物などを描いたという先入観を持っていました。
しかし、Leroi Gourhan氏のチャートを見て考えを変えました。チャートⅠ、Ⅱの段階においては、女性の子宮が描かれ続けています。すなわち、表現は違ってもヴィーナス像と同じ概念が確認できます。安産多産を願っていたのです。部族の命をつなぐことが容易いことではなかったのでしょう。
次のチャートⅢ期に彼らの概念は進化します。外部の環境を理解し始めています。雨が降ると大地が蘇り、獲物となる動物は生殖が盛んになり増えていくことの理解です。雨、平衡、生殖、獲物がそれぞれ表現されています。そして初めて「雨による平衡と豊穣の女神」がこれらの表象で描かれています。ヴィーナスとは違う女神として「雨による平衡と豊穣の女神」の概念はこの時期に生れています。写真(18)です。
Ⅳeでは複数の概念を一つにまとめる表象を創り出しています。雨、雲、平衡が一つの表象になっているのです。それに獲物と生殖が加わります。この時期の女神は「わら人形」のような形に女性器の表象を加えています。ひょっとしたら呪いに使われた「わら人形」はこんなにも深い歴史があるのでしょうか。写真(19)です。
ⅣlになるとチャートⅠ、Ⅱ期で描いていた子宮や、女性器の表象化がさらに進み「雨による平衡と豊穣の女神」を意味するようになっています。表現はシンプルになります。
この時期南仏と北アフリカは同じ文化圏であったため、ズールーの概念をもつ部族が「イシュタルの舟」に描いた「槍の様な櫂」の表象は、この時期に初めて現れたより表象化された女性器で「雨による平衡と豊穣の女神」を意味するものでした。アフリカの部族はこの後に宇宙論的概念を発展させて、ズールーの概念を作ります。「雨による平衡と豊穣の女神」は相似的に積み重なる宇宙そのものの「天の王女」が降らせた「大地を蘇らせた雨」に置き換えられています。したがって「イシュタルの舟」も「天の王女」の一層の子宮の中の出来事として表現されます。しかし部族の根幹にある概念として表象化された女性器は「平衡と豊穣の雨の女神」と強く結びついていたようです。何千年後の「イシュタルの舟」に「冥界の女神も兼ねた平衡と豊穣の雨の女神・イシュタル」と結びつきます。
(15)洞窟壁画とヴィーナス像の分布;分明の誕生 江坂輝彌 大貫良男(参照)
そしてもう一つチャートⅣl.期に表象化された[子宮]は「雨による平衡と豊穣の女神」を表しCardium Pottery cultureのホタテの女神(写真17)と融合しています。そして「Ozieri culture」以前の陶器絵として現れています。写真(16)がその女神です。
サルデーニャ島の女神の変遷が始まります。
(16)PreーOzieri culture BC4,000~BC3,800 Sardinia The Language of GODDESS Marija Gimbutas
(17)「Ozieri culture」wikiwand
(18)「雨による平衡と豊穣の女神」上部マグダレニアン期
THE LANGUAGE OF THE GODDESS;Marija Gimbutas
(19)「雨による平衡と豊穣の女神」上部マグダレニアン期
THE LANGUAGE OF THE GODDESS;Marija Gimbutas