形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

日本文化のルーツ

Megalithic・巨石構造物 (5)・墓としてのDOLMEN

(1)Dolmen, near the village of Hlyabovo, Haskovo,Bulgaria; Wikipedia (9)Magura Cave; BUL stck(参照) [Cerenavoda culture(4,000~3,500BC年頃)の部族に追われ、ブルガリア南東部に移動した「Vinca culture」(参照)の部族は、コーカスの部族が金採掘を…

レポート;目黒 空中庭園の古墳とMegalithic

目黒の空中庭園に行った。青空の中、浮き立つように「土佐水木」が咲き誇っていた。高知県の限られた場所にだけ自生している珍しい植物だそうだ。珍しい品種の「桜」もかわいい。お花好きには嬉しい庭園です。 高揚して坂を上っていくと、いきなり小さな古墳…

Megalithic・巨石構造物 (4)・Ezero culture

BC4,000年以後にブルガリア南東部 Haskovo州,Kardzhali州に現れたMegalithicです。 BC4,ooo年頃、[cernavoda culture]の侵入に追われブルガリア南部に移動した部族の中でも、コーカサス出身の部族は黄金を求めます。ロドピ山脈(Rhodopes Mountain)東部に流れ…

PETROさんへの答え 見つけました

Wikipedia ギリシャ時代の壺絵 BC5~4年頃、バルカン半島を中心に勢力を広げていた、トラキア人の盾です。盾の形は「広げた翼」ですね。目の様な彫刻は「ハゲワシの頭」です。そして「球体の石」は「雨」です。つまり「雨による平衡と豊穣の女神」に「冥界の…

Megalithic・巨石構造物 (2)・Vinca cultureの残したMegalithic

写真を見て、もう皆さんお気付きでしょう。巨石や洞窟で[Vinca culture]の部族が表象したのは「ズールーの概念、天の王女のVagina」です。しかし、Megalithic(1)の「Menhir」とは全く違い、「多産や子孫繫栄」は関係ありません。ズールーの概念(参照)では…

愛媛県 生名島メンヒル

Menhir & stone circle 立石山山頂磐座・複合遺跡(ドルメンも含む) ドルメン これらの複合施設については、これからBC4,000年頃のブルガリアに於ける「Megalithic」の説明の中で取り扱うことになります。筑波山も同じ複合施設ですし、日本の「磐座」と呼ば…

Megalithic・巨石構造物 (1)・女神たちの表象

ブルガリアのメガリス(巨石構造物) (1)Menhir(立石)at the village of Oveharovo,Haskovo;MEGALITHIC BULGARIA VAGABOND Megalithic(巨石構造物)に分類される構造物は多種多様です。ひとまとめにして理解することは不可能です。いろいろな場所と時…

女神たちの表象 (11)渦巻

ヴィーナスの表象;生命誕生の表象・渦巻 渦巻が「生命の誕生」の概念と結びついたのは北アフリカだと考えます。やがて巻貝(特に赤い巻貝)をその表象物として身に着けるようになります。(参照1)(参照2) この「巻貝の文化」はそれまでに知られた海沿い…

女神たちの表象 (11)渦巻

ヴィーナスの表象;生命誕生の表象・渦巻 渦巻が「生命の誕生」の概念と結びついたのは北アフリカだと考えます。やがて巻貝(特に赤い巻貝)をその表象物として身に着けるようになります。(参照1)(参照2) この「巻貝の文化」はそれまでに知られた海沿い…

Magura CaveとOzieri culture(9)女神たちの表象

Cernavoda cultureの到来と西への逃避 (33)銅器時代、BC4,000年少し前のSetellments(居住地);THE LANGUAGE OF THE GODDESS Marija Gimbutas T & H (34)BC4.000~BC3,000年頃 ステップ部族の進出;wikipedia 写真(33)と(34)を比べることでBC4,000年頃に起こ…

Magura CaveとOzieri culture(9)女神たちの表象

Cernavoda cultureの到来と西への逃避 (33)銅器時代、BC4,000年少し前のSetellments(居住地);THE LANGUAGE OF THE GODDESS Marija Gimbutas T & H (34)BC4.000~BC3,000年頃 ステップ部族の進出;wikipedia 写真(33)と(34)を比べることでBC4,000年頃に起こ…

特別編 銅鐸 表象の解釈(2)

(1)北イタリア、camonica valleyの北方、アルプス山麓Cavenに立てられたmenhir (2)和久ノート 銅鐸 表象の解釈(1) (2)和久ノートと銅鐸 表象の解釈(1)を見比べてください。menhirの要素は日本の標準的な銅鐸と同じ構成であることが分かります。この場合…

ゲノムから解き明かす縄文人・弥生人のルーツ 日経サイエンス 202108

同じゲノム解析で「解析の結果、国内の男性のY染色体は大きく7つの系統に分けられることが分かった。最も比率が高かった系統(約150人、35%)は韓国や中国の現代人には見つからず、日本列島に固有の系統だった。」 写真(1)と上記の解析結果から、ど…

特別編 銅鐸 表象の解釈(1)

和久ノート (参照1) (参照2) 次に銅鐸の作られた意味を明確に示す事例を示します。重要な研究論文です。 銅鐸埋納 イワクラ(磐座)学会 研究論文電子版 2015年2月26日掲載 「銅鐸の身は鈕側より見ると銀杏形であり、鰭の方向が長軸になるため、土坑…

Magura CaveとOzieri culture(8)女神たちの表象

もう一人の「雨と太陽の平衡の女神」 Tiszapolgar culture4,500~4,000BC (30)ハンガリー「Tiszapolgar culture(4,500~4,000BC)」のsites; resarchgate (25)黒海大洪水の後の変化(参照) (29)黒海大洪水後 Starcevo,Vinca,Karanovo,Varna cultureの展…

Magura CaveとOzieri culture(7)女神たちの表象

(29)黒海大洪水後 Starcevo,Vinca,Karanovo,Varna cultureの展開 黒海大洪水以前 北上した北アフリカの部族は「Starcevo culture」と融合し、次第に「Starcevo culture」を飲み込んでいきます。そして「上部マグダレニアン( Superieur Magdale'nienne) 文化…

023-10-25 Magura CaveとOzieri culture(6)女神たちの表象

)黒海大洪水の後の女神達 黒海大洪水の後に「Starcevo culture(Danubian culture)」がどのように変化したのかを説明する記事に出会いません。いきなり写真(26)の文化区分が現れます。歴史は文化区分のコマ送りでは説明できません。コマ送りの間を丁寧に調…

Magura CaveとOzieri culture(5)女神たちの表象

(24)シロエリハゲワシ Wikipedia 前章の記事を書いてから考え続けていました。Cucuteni-Trypillian cultureの4人の王女のことです。あの哲学的な思考をするズールーの概念を持つ北アフリカの部族が、矛盾をきたすような天の王女を表現するだろうか。そして…

Magura CaveとOzieri culture(5)女神たちの表象

(24)シロエリハゲワシ Wikipedia 前章の記事を書いてから考え続けていました。Cucuteni-Trypillian cultureの4人の王女のことです。あの哲学的な思考をするズールーの概念を持つ北アフリカの部族が、矛盾をきたすような天の王女を表現するだろうか。そして…

Magura CaveとOzieri culture(4)女神たちの表象

Cucuteni-Trypillian culture(5,500~2,750BC)に残る北アフリカ部族の初期女神 黒海大洪水が起こった頃の女神の変化を知るうえで重要な手掛かりがあります。上の地図を見てください。北アフリカの部族(上記・Starcevo culture)と出会い、融合していったのは…

Magura CaveとOzieri culture(3)女神たちの表象

(14)和久ノート ヨーロッパからポーランドのBg river,Dniester riverを経由して[上部マグダレニアン(Superieur Magdale'nienne) 文化」の「平衡と豊穣の雨の女神」の概念は、北方草原、コーカサスに伝播して行きました。西アジアに始まった初期農耕と牧畜の…

2023-09-17 Magura CaveとOzieri culture(2)

ブルガリア・「Magura cave」の岩絵とサルデーニャ島「Ozieri culture」土器絵 太陽と雨の平衡の女神 ブルガリア・「Magura cave」の岩絵とサルデーニャ島「Ozieri culture」の土器絵には明らかな連続性が認められます。比較的に実態調査の進んでいる「Ozier…

黒海大洪水(6)

Dnieper-Donets culture(BC5,000~BC4,500年頃); wikipedia Wikipediaで見られる複数の雑誌や研究論文にハプログループG2が[Linear Pottery Culture]の全体的にみられることが発表されています。ハプログループGはコーカサスの部族に特徴的なハプログループ…

黒海大洪水(5)

神学から見た黒海大洪水 燃え続ける火の意味 ゾロアスター教;メアリー・ボイス、山本由美子訳(講談社)の第二章・「創造と三つの時」にゾロアスター教の起こりを暗示する「神話」として次のような描写があります。 {彼は石でできた大空の下半球から暴力的…

黒海大洪水(4)

古代ヤギの骨からDNAを抽出するために骨粉を採取している様子環境学研究科地球史学講座の大西敬子さんが、このテーマで修士研究を行いました。 名古屋大学大学院・門脇誠二研究室が行った「家畜ヤギの西アジア起源説の検討ー古代DNAの系統解析」(参照)によ…

黒海大洪水(3)

(14)和久ノート 黒海大洪水後の農耕牧畜の遺跡、遺物から黒海大洪水以前の状況を推測してみました。重要なのは時間軸です。例えばチーズの伝播を考えると、ポーランドと西アジアに大きなタイムラグはありません。よってチーズ加工の西アジア起源は考えられ…

黒海大洪水(2)

黒海大洪水 黒海大洪水以前にドニエステル川(Doniesuteru river)からコーカサス平野(Caucasus Plain)の間に長い期間栄えていた、文化圏を考えてみました、地域差を持ちながら土器や初期農耕、漁猟、狩猟などに共通項を持ち、交易が盛んだったと思われる…

尖底土器(Pointed bottom pottery)の誕生

実験結果 尖底土器が作られた理由です。このことは黒海の湖沼に暮らす部族にとって非常に重要でした。特にワインや穀物の水上運搬に役立ちます。ジョージアワインのクヴェヴリやギリシャ時代のアンフォラは同じ用途からの発展形です。特に防水したいときには…

黒海大洪水

「黒海大洪水」はBC6,500年頃に起こったと考えられています。(参照) 写真(2)、(3)を見れば、洪水から逃げ出した部族の流れがよく分かります。両方向とも大きな文化は作れず、集落が散在するのみです。また洪水前にドニエストル川まで進出していたズー…

Cardium pottery cultureーOzieri culture・Sardinia(2)

「上部マグダレニアン(Superieur Magdale'nienne) 文化」とCardium pottery cultureの融合 (13)和久ノート (14)Leroi Gourhanによる南仏洞窟壁画チャート PAINTED CAVES ANDREW J. LAWSON Leroi Gourhan氏の南仏洞窟壁画チャートを「雨の女神」誕生の時…

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