形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

Megalithic・巨石構造物 (2)・Vinca cultureの残したMegalithic

写真を見て、もう皆さんお気付きでしょう。巨石や洞窟で[Vinca culture]の部族が表象したのは「ズールーの概念、天の王女のVagina」です。しかし、Megalithic(1)の「Menhir」とは全く違い、「多産や子孫繫栄」は関係ありません。ズールーの概念(参照)では、「宇宙は相似形に重なる王女の子宮」の中にあります。[Vinca culture]の部族が出アフリカした頃に「ズールーの概念」はまとまった論理が完成したようです。これまでのアフリカからの部族とは明らかに違います。そして彼らはこれから「王女の宇宙観表象物」を次々に生み出していきます。写真の「巨石構造物」や「洞窟」はその中でも初期の表象になります。この頃、彼らは土葬をしていましたが、既に「王女の子宮」を表す「壷」を副葬していました。写真(14)は「相似形に重なる王女の子宮」が壷で表されています。この表象の完成形です。詳しく見ていきましょう。

 

 

(1)Buzovgrad Rock;TRAVELBULGARIAN News

 

(2)Buzovgrad Rock;TRAVELBULGARIAN News

 

地元の人からは「母なる女神への扉」と呼ばれているそうです。意味合いはまだ生きているようです。

ズールーの概念で現生は、相似形に重なる王女の子宮の一つの中にあります。この石造物の割れ目(天の王女のVagina)から自分たちの集落を望めば、自分たちの世界が天の王女の子宮の中にある事が実感できます。また集落から山の上の割れ目(天の王女のVagina)を見れば、天の王女の存在を宇宙的に感じます。写真5)の梯子はもともと作られたもので、居住地が展望できたものだと考えます。

この石像建造物の作られた土地は、後の世も、現在まで聖地であり続けています。

 

(3)Buzovgrad Menhir;TRAVELBULGARIAN News

 

また同じ土地には「Megalithic・巨石構造物(1)」で説明した「多産・子孫繫栄」の表象の「打ち欠きのあるMenhir」があります。違った概念を持った北アフリカからの部族がこの地でも融合していったと考えます。後に、このことで「女性器」を表していた「小さめの自然石のStone circle」は「大きな「板状石」で取り囲む「Cromlech」に変化します。変化はそれだけではありません。「Cromlech」のサークル内に石棺が作られ、墓としての役割を持つようになります。推察するに、両部族の融合で、「女性器」を表す「Stone circle」は「王女の子宮」を表すように変化したのではないでしょうか。「王女の子宮の中で眠る」概念の誕生です。さらに後に、この概念は写真(1)の巨石構造物から「Dolmen(支石墓)を生み出すことになります。

そこで、「王女の子宮の中で眠る」概念の誕生を考えなければいけません。遺跡、遺物は見つかるのでしょうか。

 

(4)Karadzhov Karmak Rock;ANCIENTBURUGARIA.BLG

 

(5)Karadzhov Karmak Rock;ANCIENTBURUGARIA.BLG

 

Cave

同じ頃の遺跡に、時を下ったBC5~4年頃のトラキア人にも聖なるものとされていた洞窟があります。これらの洞窟を見れば、入口付近は人工的に手を加えられています。写真(6,7)では「Vagina」の形です。写真(8,9)は「ズールーの概念、天の王女の子宮表象」の「アーチ型」です。どちらも洞窟の中から外を眺めれば、写真(1)の「巨石構造物」と同じ様に、ズールーの概念にあるように、自分たちの世界が天の王女の子宮の中にある事が実感できます。

洞窟の場合はもう一つ、「天の王女」の「Vagina」や「子宮」に入り込めば、現生とは違うもう一つの「宇宙・天の王女の子宮」を実感できます。

一番北の「Magura Cave」に至り、表象概念は進み「天の王女の子宮表象」から「天の王女の人形表象」が生み出され、洞窟の壁面に描かれています。以後陶器にも描かれることになります。

つまり洞窟は「天の王女の、現生とは違うもう一つの子宮宇宙」なのです。彼らは洞窟を神聖な場所にしていたと考えます。やがてその概念は「王女の子宮の中で眠る」概念を生み出します。写真(1)の「天の王女のVagina」を表わす「巨石構造物」は「王女の子宮」を表わす「巨石構造物」に変化します。そして「巨石構造物」は「墳墓」としての「「Dolmen(支石墓)」になります。それはもう少し時がたち、BC4,000頃「Cerenavoda culture」の部族の到来により、巨石の多いブルガリア東南部に移動したのちに始まります。

 

(6)Utrova Cave;wikiloc; wikipedia

 

 

(7)Utrova Cave;wikiloc

 

 

(8)Lepenitsa Cave; wikipedia

 

(9)Magura Cave; BUL stck

 

(9)Magura Cave; wikipedia

(11)「Magura cave」の岩絵・ズールーの概念・天の王女の子宮表象を持つ岩絵;和久ノート(参照)

 

(12)Vinca culture 部族の移動

 

(13)Vinca culture 部族の分布;Researchgate

 

 

(14)子持壺付き須恵器;須恵器の展開ー吉備の古墳時代 東京国立博物館

積み重なる円環と周期(世代)は円錐形に発展します。そこには△(女神)、〇(雨)、四角形(輝く雨)の穴があり、「雨による平衡と豊穣の女神」であり「冥界の女神」である「イシュタル」の存在を表しています。その上にはそのすべての現生を包み込む「天の王女の子宮」を表す大きな壷が乗り、小さな多数の壷が相似形に拡がる王女の子宮(宇宙)を表象しています。銅鐸(参照)とよく似た形で、ズールーの概念・世界観を立体に形作っています。

 

 

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