形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

Magura CaveとOzieri culture(7)女神たちの表象

 

 

 

(29)黒海大洪水後 Starcevo,Vinca,Karanovo,Varna cultureの展開

 

黒海大洪水以前

 

北上した北アフリカの部族は「Starcevo culture」と融合し、次第に「Starcevo culture」を飲み込んでいきます。そして「上部マグダレニアン( Superieur Magdale'nienne) 文化」、「Koros-Cris culture」の文化を内包したズールーの概念の強い北アフリカの部族文化・「Vinca culture」が形作られました。最初は(29)図(1)の判図で、半分から東は「二枚貝の雨の女神」表象を持つ「Cardium pottery cultur 」の部族が優位を占め「Starcevo culture」と融合した「Karanovo culture」が占めていました。

しばらくすると「Vinca culture」の部族はドナウ川下流へと勢力を広げていきます。この時、Magura cave近辺にいた「Karanovo culture」の部族は取り込まれます。「王女の子宮ポーズをした二枚貝の女神」はこうしてMagura caveに描かれることになりました。

(4)和久ノート(参照)

 

 

 

(26)黒海大洪水の後の変化

 

(27)Vinca culture 後期 wikipedia

 

BC4,700の頃Durankulakの湖上の島に,石積の住居とピラミッドを築く部族が上陸してきます。冶金技術を持つコーカサスの部族です。彼らの目的はSofia近くの「熱水金」です。BC4,500の頃までには「Karanovo culture」の部族と協力関係を築き「熱水金」の採掘を始めています。数の上で優位な「Karanovo culture」の部族も、冶金技術を持ち黄金に輝く装飾品などを作り出すコーカサスの部族は大切なパートナーだったはずです。サルデーニャ島に移動してからもお互いの表象を,最初は並立やがて融合した「太陽と雨の平衡の女神」を描いています。

この地で初めて現れた「太陽」の意味は何でしょう。南イスラエルやエジプト、メソポタミアに現れたコーカサスの部族からもこの時代「太陽」の表象は見つかっていません。推測の域を出ませんが「太陽のように輝く黄金を作り出す部族」を表したのでしょうか。又は農耕が進むにつれて、部族の大切な概念が「烈火を鎮める雨の平衡」から豊穣をもたらす「雨」と「太陽」の平衡に変化したのか。更には冶金技術で黄金を作り出すためには、熱による精錬が必要なため、「太陽」と「風」が不可欠なものになったのか。これからも遺物や表象を探らなければなりません。ただこれからもコーカサスの部族が行くところには「太陽」の表象が現れて、「太陽のピラミッド」、「ゴルゴン」などが現れます。「ゴルゴン」は写真(13)にみるように、太陽の後光の解釈で「平衡・Cheveron」の「ギザギザ線」を「蛇」に見なしたことに始まります。コーカサスでは「ギザギザ線」は「平衡をもたらすイシュタル」の表象「蛇」になります。今でもコーカサス文様に現れる「蛇」は「平衡」の表象になっています。

「雨と太陽の平衡の女神」がコーカサスの部族によって「ゴルゴン」とみなされることは、サルディーニャ島で始まったようです。

話がサルディーニャ島に飛んでしまいましたが、「Karanovo culture」の部族との融合から生まれた「二枚貝の雨の女神と太陽」の他に、「Vinca culture」の部族との融合から生まれた「雨と太陽の平衡の女神」を見ていかなくてはいけません。写真(12)ブルガリア・「Magura cave」の岩絵、太陽と雨の平衡の女神と天の王女です。

「Vinca culture」の部族の勢力が熱水金の採掘現場に及び始めたことを示しています。

 

(9)ブルガリア・「Magura cave」の岩絵、太陽と雨の平衡;The complete catalog of all Magura cave paintings-creation,use and perspectivew.

 

(12)ブルガリア・「Magura cave」の岩絵、太陽と雨の平衡の女神と天の王女;The complete catalog of all Magura cave paintings-creation,use and perspectivew.

 

 

(10)サルデーニャ島「Ozieri culture」土器絵、「Cardium pottery cultur 」の;二枚貝の雨の女神と太陽wikiwand

 

 

(11)サルデーニャ島「Ozieri culture」粘土板絵、 BC4,000~3,800年頃;THE LANGUAGE OF THE GODDESS;Marija Gimbutas

 

(13)サルデーニャ島、Serra Is Arausの Domus de Janas(岩窟墓)出土土器の壺絵、BC4,000年期;THE LANGUAGE OF THE GODDESS;Marija Gimbutas

 

 

 

 

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