形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

Magura CaveとOzieri culture(3)女神たちの表象

 

 

(14)和久ノート

 

ヨーロッパからポーランドのBg river,Dniester riverを経由して[上部マグダレニアン(Superieur Magdale'nienne) 文化」の「平衡と豊穣の雨の女神」の概念は、北方草原、コーカサスに伝播して行きました。西アジアに始まった初期農耕と牧畜の文化はコーカサスを経由してDniester river、Bug riverに伝播します。肥沃な黒土の地で「Bugー Dniester culture(6,300~5,000BC)」が生まれます。その一部の部族はハンガリーに南下して「KorosーCris culture(5,800~5,300BC)」の表象豊かな土器文化を作りました。

一方、砂漠化し始めた北アフリカの部族の一部は北上し、バルカン半島に入ります。最も北のコースを取った部族は、アドリア海まで北上してクロアチアのNeretva riverを上流に向かいDinaric Alpsを超えてSava riverからBelgradeでDanube river(ドナウ川)に至りました。そしてDanube river(ドナウ川)下流域に広がり定住します。この文化を「Starcevo culture(6,200~4,500BC)、Karanovo culture(6,200~4,000BC)と呼びますが、この時点では部族の違いだけで、文化的差異は少なく両者を分けることなく「Danubian culture」とイメージした方がふさわしいと考えています。

「KorosーCris culture」の広がりはKoros riverからTisza riverを南下してBelgrade近くでDanube river(ドナウ川)に繋がります。

二つの文化はDanube river(ドナウ川)下流域で融合していきます。

この時点で北アフリカの部族が持ち込んだ「テラコッタの女性像」は「安産」を願うためのもので「ビーナス像」ではないでしょうか。「KorosーCris culture」の「平衡と豊穣の雨の女神」の概念を抵抗なく受け入れた理由が説明出来ます。またこの「ビーナス像」には、身体全体に「渦巻」がよく描かれます。「渦巻」はお産のときの「産道回線」を表します。安産には不可欠な旋回です。

そして、「平衡と豊穣の雨の女神」の概念は「ビーナス像」の手や腕の表現として融合させていきます。最終的には「頭の長い造形的な女神像」を完成させます。この女神は「KorosーCris culture」から平衡を表す「お釈迦様ポーズ」を受け継いでいます。

そしてこの時期に黒海大洪水が起こります。

 

先ずは「テラコッタの女性像」を説明します。

 

(15)タッシリ・ナジュール、アルジェリアの岩絵・お産室;サハラ、砂漠の画廊、野町和義嘉写真集

 

鳥の様なシルエットが見える。女性二人に見守られるが、外からは見えない造りになっている。

 

(16)Cucuteni-Trybillian culture(5,500~2,750BC)初期の遺構、The complete catalog of all Magura cave paintings-creation,use and perspectivew.

 

鳥シルエットのテラコッタが見られる。写真(15)のお産小屋が進化したものであることは明白です。右奥には「お産椅子」も見られます。

この構造の建物は後世、中国で縁起が良いとして宮殿にも用いられました。入口(玄関)の位置です。

 

(17)The complete catalog of all Magura cave paintings-creation,use and perspectivew.  

 

イラスト(16)奥のテラコッタ・長い首のテラコッタは鳥のシルエットになっている。男性もいるようなので、生殖に関するテラコッタであることが分かる。安産に多産の願いもこもっているようです。

 

(18)Karanobo cultureのテラコッタ・お産椅子もみられる。腕の形が羽のようにも見える。wikipedia

 

 

© 2019 JOJI WAKU Blog. All rights reserved.