時空を超えてCAMONICAから縄文末期の奈良盆地へ、ゴルゴンを神とする部族は降り立ちました。一つ一つ両者の「形而下の石」を突き合わせていきます。その中で、前章で見落としていた「銅鐸のルーツと意味」が浮き彫りになります。
仕事に追われて忙しかった7年前、奈良五條・念仏寺「陀陀堂の鬼はしり」(参照)
が無性に見たくなり、仕事を押し付けるように人に任せ出かけました。奈良五条と明日香も立ち寄りたかったので調べる中で、唐古・鍵遺跡の壺絵をモデルにした建築物が何故か気になりました。そこで鬼走りの前日に立ち寄ることにしました。環濠の遺跡はただただ更地が広がるばかりで、ぽつりと池のほとりに簡素な建築物があるばかりです。遺跡の知識に乏しい私は呆然ととして、待たせていたタクシーに戻りました。そしてあまり期待もせずに「唐古・鍵考古学ミュージアム」に向かいました。
展示品を見て大興奮!学芸員をつかまえて話し続けていました。閉館時間まで堪能して、持てる限りの図録を抱えて奈良五条に向かいました。行って本当に良かったと思います。明日香の石造物に残る概念は奈良五条の鬼と奈良盆地に降り立ったゴルゴンによって説明がつきます。この時期、日本海側からの人や文化伝来が語られることが多いのですが、太平洋側からの人と文化伝来は重要です。「銅鐸」が造られた領域内での精神文化は、日本文化における概念の根幹になっています。「銅鐸」は神社そのものです。
(1)唐古・鍵遺跡出土品 壺絵 唐古・鍵考古学ミュージアム図録
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(3)Camonica Valleyの岩絵;CAMONICAVALLEY Emmanuel Anati KNOPP
(4)CONCARENA夜明けのの後光 Steinzeit-Astronauten PICHIER Verlag
(5)Camonica Valleyの岩絵 Steinzeit-Astronauten PICHIER Verlag
前章でこのゴルゴンが生まれた考察をしました。(参照)
Camonica Valleyを含む同時代の文化を調べるとLombardy,Veneto,Trentino州に広がる「Polada culture(BC2,200~BC1,500年頃)」、そしてインドヨーロッパ語族が浮上します。この両文化は、北からのインドヨーロッパ語族南下に伴い社会形態が変化した姿です。具体的に言えば、「Terramare culture(BC1,650~BC1150年頃)」になって最初にそれぞれの地域に環濠をめぐらし始め、やがて統合して数を減らして大規模にしていきます。その環濠集落は「唐古・鍵環濠遺跡」と高床の木造建築を含めてよく似ています。
(6)Terramare cultureの環濠集落 wikipedia
さらに科学的に推理を補強すれば、「Polada culture(BC2,200~BC1,500年頃)」の人骨からは染色体Y遺伝子のハプログループG(G-M201)が多く見つかっています。非常に珍しいグループです。今ではジョージアの人々に特徴的で、巨石文化の拡散に沿いながらヨーロッパに拡がり、ハプログループRに比較的上書きされなかった北欧やスペイン、ポルトガル、北アフリカ、そして北イタリア、南北アルプス、旧エトルリア、サルディニア、カザフスタン、キルギス、日本に観察されます。北イタリア、南北アルプス、キルギス、日本などは山岳地帯で銅鉱床を求めた様子が解ります。
アルプスの山頂、イタリア・オーストリアの国境で見つかった「アイスマン」もサルディニア島に多いハプログループGです。胃の内容物からサルディニア、エトルリアそしてアルプスを活動範囲にしていたことが解ります。
また日本人のハプログループ比は衝撃的な結果を示しています。
(7)2019 TERUMO SCIENCE FOUNDATION
ハプログループDはかなり古層で私が「トピックス(8)Gleichenia japonica(ウラジロ)とズールーの概念」から「トピックス(8)ズールーの概念と貝の文化(28) 」で長々と調べた時代の伝播です。Gが弥生人のグループだとすると「空白の4世紀」は弥生人同士の権力争いが考えられます。北からのハプログループRが見つからないのです。ハプログループR1bの「Yamuna culture」・北方騎馬民族のスラブ人は、征服すると女子を蹂躙してそのまま移動していったので、母子は元の部族に帰り母親の言語・文化で育ちます。そうして北方騎馬民族のスラブ人の様なインドヨーロッパ語族ではない部族にもハプログループR1bが多く存在することになります。しかし日本には見られません。大和政権騎馬民族説は成り立ちません。
(8)イタリア帝国の地下資源 associazione.hatenablog
写真(8)を見るとイタリアの鉱物資源のある場所がハプログループG(G-M201)の多く見つかる地域と重なっていることが解ります。Lombardy州、Toscana州など旧エトルリア領域そしてsardegne島です。Mykop cultureの冶金技術を持つ部族は常に鉱物資源のある場所に移動していることが解かるのです。
インドヨーロッパ語族に攻められ、「Terramare culture(BC1,650~BC1150年頃)」の環濠集落を追われたハプログループG(G-M201)の部族はトスカーナ旧エトルリア領域、サルディニア島、イタリア南部に逃げています。そして丘陵地帯、山岳地帯に入り鉱物資源を探します。やがて旧エトルリア領域で鉄鉱石も得ることになり、鉄器を創り出してエトルリアは繫栄を極めます。フェニキア人との交易も増え、この時期のゴルゴン石像はギリシャ、アナトリアでも見つかっています。ただほとんどはギリシャ古典期以後、破壊されています。なかには逆さにされ石柱の基礎石にされているものもあります。ゴルゴンの神殿がアルテミス神殿に置き換わったところもあります。
そしてもうひとつ重要な事実として、イタリアでは現代もハプログループG(G-M201)の多く見つかる地域のみで「稲作」が行われています。Lombardy,Veneto,Trentino、Emilia州、Toscana州そしてsardegne島です。
中国に最も一般的なハプログループOが日本人には1.51%しか見つかっていないそうです。写真(7)の弥生人にはありません。弥生人の多くはハプログループGなのです。皇室の儀礼に稲は深く関わっています。部族として根源的な結びつきを感じます。ゴルゴンのように「天照大御神」は女性であり、太陽の神なのです。
唐古・鍵遺跡の壺絵に描かれたゴルゴンの意味は非常に興味深いものです。
また「戸下神楽」(参照)の解釈に修正が必要なようです。春日大神(ヴィーナス)、山の神(イシュタル)の次に天照大神が現れたのはそのままなのですが、日向にくる以前に太陽の神(イシュタルと習合して、雨と太陽による平衡の女神ゴルゴン)は生まれていました。「戸下神楽」の内容はすべて日向に降臨する以前、アルプス南麓の話だったようです。では「酒」は?(参照)
三波川編成体の岩石はよく近くに立つ城の石垣につかわれることがありました。緑色の石です。三波川編成帯の上に位置する私の故郷・徳島県三好市では、よくピカピカに磨いて床の間に飾っていました。この三波川編成帯上には弥生人の遺跡があり、「鬼」の足跡が残されています。