形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

特別編 日本のゴルゴン (8)イシュタルの舟 (8)

 

Papyrus(パピラス、パピルス)のイシュタルの舟・エジプト

 

(84)土で塗り固められたパピルスの舟 副葬品 BC3,800年頃 エジプト Wikipedia

 

 

写真(84)「土で塗り固められたBC3,800年頃のパピルスの舟」を見て、この時代のエジプトにおけるコーカサス地方の部族の存在を確信ました。この副葬品はエジプトに来て埋葬方法が変わってからも、以前の概念を持ち続けていることの証明です。舟の副葬品と舟葬については以前に書きました。(参照)参考にしてください。今回はもう一つの視点から再確認することになります。

副葬品の舟には二人が乗っています。パピルスの船室にいるのが死者です。帆先にはイシュタルの姿があります。死者を冥界に連れて行くのはイシュタルの役目です。アフリカの「天の女神」は大宇宙と同じ存在なので、この様に座ることはありません。たまにイシュタルの舟に現れても、牡牛の角の様に両手を高くかざし、すくっと立っています。写真(86)で同じ頃のエジプト・彩文土器に描かれた「天の女神」の姿を確認してください。やや左、両手をハート形の様に上げています。牡牛の角のポーズです。

彩文土器が作られた先王朝時代には、アフリカとコーカサスの概念が混在しています。

やがてコーカサスの「Shulaveri-Shomu culture」から多くの部族が到来して初期王朝時代に入っていきます。そう考えると、エジプト王朝に「イシュタルの舟」の概念が続いていくのは当然の事でした。

 



(86)エジプト・ナカダⅡ期(BC3,500~3,300年頃)の彩文土器;木崎洋技術士事務

 

パピルスで出来た右の穂先に近い船室には、「雨」と「平衡のリボン」、鹿の表象が立っています。ここにイシュタルがいることを示しています。他方には当然死者がいます。彩文土器や埴輪に描かれる二つの船室の意味が解ります。

 

副葬品の舟は土で固められています。これは大きな発見です。葦(イネ科)やパピルス(カヤツリグサ科)で作った舟にタールを塗れば強靭な防水の舟ができます。トール・ヘイエルダールは葦船で大西洋を渡り、ペルシャ湾からインド、紅海まで航海しています。(参照)

ところがこの副葬品の舟は土を塗っているのです。水に入り、土が解け始めると、ゆるく編んでおけば沈みます。沈めるための舟です。大洪水前の淡水・黒海沿岸で行われていた「舟葬」の方法ではないでしょうか。もちろんイシュタルが乗るようになったのは、大洪水以後のことだと考えます。やはり「舟葬」と冥界の女神になった「雨による平衡の女神」・イシュタルとの結びつきが「冥界の女神の舟に乗って冥界に旅立つ」との概念を作り出したと考えます。

 

 

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