形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

特別編 日本のゴルゴン (8)イシュタルの舟 (10)

 

 

日本とエジプトにおける埋葬と船団

 

 

葦の茎の直径は10~12㎜、パピルスは6㎝の三角形、いずれも空洞で大きな浮力をもっています。ただし舟に編み上げると、その茎の太さゆえに形態に違いが生まれます。

写真(91)ナカダ文化の領域・ヒエラコンポリス(ハヤブサの町)第100号墓の内壁にに描かれた色彩絵画には、その違いが良く描かれています。黒い船は「葦舟」で、他の5隻は「パピルス舟」です。直径は10~12㎜の茎を編み上げると、舟の先端に当たるエンドではかなり細長くなります。ペルーやチチカカ湖又はメソポタミアの「葦舟」はみんな同じ形になっています。一方、エジプトの「パピルス舟」は茎の硬さゆえに「パピルスいかだ」と呼ばれるような形をしています。これらの舟を見ると、権力者の舟は観念的な「イシュタルの葦舟」なのに対して、他の5隻は当時の日常的な舟になっていいることが分かります。観念的な「イシュタルの葦舟」の形は、木造の準構造船である写真(96)エジプト第四王朝、第二代王クフ王の埋葬船にまで引き継がれていることが分かります。彼らにとって観念的な「黒海での舟」はあくまで「葦舟」なのだと考えます。

彩文土器絵では観念的な「イシュタルの葦舟」のみが描かれていましたが、それはあくまで個人の「骨壷」として使用されたためではないでしょうか。権力の集中が進み王と呼べるほどになると、墳墓が築かれ、葬儀は儀礼化・政治化していきます。そして「イシュタルの舟」は「船団」になります。王の交代は権力の入れ替えになり、前勢力は一掃されることが起こります。

「船団」が意味するものは「殉死」ではないでしょうか。エジプト第一・第二王朝では王の墳墓近くに埋葬構造物が見つかっています。

エジプト第一王朝時代に入ると写真(94)「第三代王ジェルの舟14隻」が「舟の墓場」と呼ばれる墳墓近くの日干しレンガ構造物から見つかっています。現実的な舟が木製準構造舟になっていることが注目に当たります。

これらを踏まえて弥生時代末期から古墳時代の写真(92)イシュタルの舟(葦舟)と船団(準構造船15隻)を見てください。写真(93)の舟は明らかに「葦舟」か「葦舟型準構造舟」の形をしています。そして他は「木製準構造舟」です。エジプトの第一王朝以前からの伝統的な「葬儀絵」が日本で彫られています。墳墓近くの埋葬構造物も弥生時代古墳時代に認められています。

古墳時代の第3層ヒトゲノムはエジプトからきていました。

ここで円筒古墳絵の舟の検証に入る前に「槍型の櫂」について見ておきます。日本とエジプトに見られる「槍型の櫂」にはエジプト王朝誕生の秘密が隠されています。

 

兵庫県袴遺跡(古墳時代

 

 

(93)イシュタルの舟(葦舟)

 

 

(91)ヒエラコンポリス(ハヤブサの町)第100号墓の色彩絵画,BC3,300~BC3,000年頃;ピラミッド以前の古代エジプト文明 大城道則

 

 

(94)「エジプト第一王朝時代、第三大王ジェルの舟14隻」BC2,800年頃;Hi-Story of the Seven Seas

 

 

(95)第12王朝センウセルト3世、舟の埋葬用構造物内部日干しレンガ壁絵,BC1840年頃;NATIONAL GEOGRAPHIC

 

(96)エジプト第四王朝、第二大王クフ王の埋葬船,BC2,500年頃

 

(97)Prehistoric Metal Artfacts from italy(BC3,500~BC720);British Museum発刊

 

 

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