形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

「羽子板、扇」が導いたこと(3)酉の市

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青山浅田の五段弁当; 一皿の組合せ 2015.7.16

 

 

徳川家康と「酉の市」のを結ぶ表象繋がりは、少し解りかけてきました。しかし、どのようにそれらが江戸に持ち込まれたかについては、まだ解りません。

そこで、「花園神社縁起」をもう一度精査したいと思います。

花園神社としても、書ける事、書けないこと、いろいろあると思いますので、「花園神社縁起」の行間を探ります。まず気になったことは、神社の呼び方が何度も変わったことです。徳川家康の江戸入府以前は「吉野水分神社」より勧請されたとされ、「水分神社」か、家康入府後の呼名にある「村社」だったと思います。「吉野水分神社」についても、「子守明神」の呼名があるように、「大地と水」の「生殖表象」としてのルーツには興味がありますが、この精査の中で、自然にその意味が浮かび上がるまで、待ちましょう。

家康入府後、「村社稲荷神社」になります。明らかに家康の影響は「稲荷神社」に現れています。「稲荷」「豊川稲荷」についても、調べる必要があります。

しかし、私が納得できない呼名は次にくる「花園稲荷神社」です。「花園神社は寛永年代(1624~1644)までは現在の場所より約 250メートル南、今の伊勢丹デパートの付近にありました。しかし、寛政年代に朝倉筑後守という旗本がこの周辺に下屋敷を拝領したため、社地は朝倉氏の下 屋敷の中に囲い込まれてしまったのです。そこで幕府に訴えたところ、現在の場所を拝領することになりました。その場所は、徳川御三家(将軍家に次いで格の 高い尾張藩・紀州藩・水戸藩)筆頭の尾張藩下屋敷の庭の一部で、たくさんの花が咲き乱れていたそうです。この美しい花園の跡に移転したので花園稲荷神社と 呼ばれたのが社名の由来とされています。」(花園神社縁起)

若者向け商品のキャッチコピーのようなこの説明に非常に違和感を感じます。「花園」は天皇の名前でもあります。私の第六感は家康の真の影響は「花園」にありそうだといっています。。

初 めて史料に花園神社の名が登場するのは、享和3年(1803)のこ と。大火に遭った社殿復興を願って内藤新宿町より奉納された額面に「花園社」と記されていました。「花園」という名称が正式なものになるのはずっと後代の ことで、稲荷神社または三光院稲荷とも呼ばれ、さらに江戸時代には地名にちなんで四谷追分稲荷とも呼ばれていたようです。

ここで、江戸時代に「花園社」と「稲荷神社」と二つの顔があったことが窺えます。そもそも、花園神社のある「内藤新宿」は高遠藩内藤家の下屋敷敷地に作った宿場で、高遠藩内藤家だけで新宿御苑を含む20万坪、そして、花園神社が移ったのは尾張藩下屋敷の庭の一部、元の場所には朝倉筑後守という旗本の下屋敷です。

徳川幕府の直轄地のような場所なのです。武士の間ではここにある神社は「花園社」であり、庶民は「稲荷神社」と認識していても不思議なことははありません。

問題なのは、武士の間で何故「花園」なのか?なのです。

明治時代になると徳川武士の認識は消され「村社稲荷神社」となるのは当然のことだったと思います。ここから、「花園」の名前を取り戻す大変な努力があった事でしょう。明治時代になって始めた「酉の市」も、尾張藩の 置き土産、境内に祭られた「大鳥神社」にちなんで始めたことだと思います。祭神;日本武尊は明治政府への努力なのでしょうか?(私は、大鳥神社の祭神は 「大鳥連祖神」だと考えています。「大化改新」以前の「臣」か「連」が「花園」の由来には必要なのです。)ただ、武士の間で行はれていた「花園社」の祭儀と「酉の市」には深い所で同じ「表象の一本の線」が引かれています。

 「大正5年1月25日、当時の社掌・鳥居成功と氏子総代・坂田寅三郎ら13人が東京府知事に対し社号の改名願を提出しました。この社号改名願は同年2月26日に許可され、「花園稲荷神社」となったのです。
さらに昭和40年に、それまで末社だった大鳥神社を御社殿建替えと共に本社に合祀したことから、ようやく「花園神社」が正式名称となりました。
(花園神社縁起)

なぜ、これほどまで「花園」にこだわるのか?

徳川家康が江戸に持ち込んだ「祭り」と「縁起物」の表象は「花園」に「形而下の石」としての実体を与えるのか?

その答えが有りそうな、「酉の市」もう一つのカギ「氷川神社」を見てみることにします。

長くなりそうですが、「酉の市」の表象は日本の成り立ちに関わるほど大きい「形而下の石」なのです。

 

 

 

 

 

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