「磐船」
(1)福岡県・西小田遺跡出土(弥生時代中期)
江南地域・古代中国人と同じ歯を持つ頭骨
日本人の起源;中橋孝博・講談社(推薦本 )
(2)雄牛・人面の神;シリア・エブラの宮殿より出土(BC1,700年頃)
アレッポ国立博物館蔵:ARCHEO・メソポタミア;Newton Press
(3)三彩鎮墓獣(7~8世紀・唐);横河コレクション
東京国立博物館・東洋館展示
(4)リリト(ヘブライ語・フクロウ);シュメル・テラコッタ(BC2,300)
女神の心;現代思潮新社
(5)吊画昇仙図;長沙馬王堆一号漢墓出土
上海博物館展図録
氷川神社の全体像が見えたところで、徳川家康や「酉の市」との関わりに入りたいところですが、整理しておきたいことがあります。氷川女体神社に「磐船祭祭祇遺跡」があるように、氷川神社の成り立ちは、BC1,500頃日本列島にやって来た「磐船」に始まります。「狛犬」や「八咫烏」「鬼」「稲作」「鳥居」「神社」など日本文化の根幹にかかわる出来事です。「羽子板、扇」が導いたこと(14)で「石包丁形式別分布図」<ビジュアル版>世界の歴史「文明の誕生」講談社に謎を解く重大なヒントがあると書きましたが、「半月形外磨刃」(白抜き半円)は突然中国・江南に現れ、それから日本、朝鮮半島に伝播していました。九州大学・中橋孝博名誉教授は(1)福岡県・西小田遺跡出土の頭骨から同じ様な見解を書かれています。突然北九州に現れた(1)の頭骨をもつ人の集団は、当時の朝鮮半島、山東半島、中国・江南地域に広く居住していたことです。私は中国・江南地域にもBC5,000年頃、「半月形外磨刃」(白抜き半円)と伴に突然現れた集団だと思います。この「良渚文化」を担った集団は「石刃」や「鳥のトーテム・鳥居」「土器の文様」「稲作を発展させた灌漑」などから、その文化圏が分かります。ただ、BC1,500頃日本列島にやって来た「磐船」にはその他にも多くの人が集団が乗っていました。シリアも含めた地中海文化圏やインドからの集団です。BC1,500頃の時間軸で、文明の衝突とはじき出された民族の流れを見れば、これらの集団がどんな文化を持っていたかが分かります。「酉の市」がまとまった後、再度精査したいと思います。また「狛犬」の登場には(2)雄牛・人面の神;シリア・エブラの宮殿より出土(BC1,700年頃)、(4)リリト(ヘブライ語・フクロウ);シュメル・テラコッタ(BC2,300)など、「豊饒の大地神」や「出産の生殖神」の聖獣が合成獣となる過程を見る必要があります。(3)三彩鎮墓獣(7~8世紀・唐);横河コレクションは(5)吊画昇仙図;長沙馬王堆一号漢墓出土に表された「神仙思想」により、神は人間の姿となったため、合成獣に組み込まれてしまった「豊饒の大地神」と「出産の生殖神」の姿が痛々しく表現されています。「狛犬」のルーツです。詳しい説明は後日にして、「酉の市」のまとめに入ります。