「餅文化」鏡餅とキビ餅、黄金餅(粟餅)
岡崎市瀧山寺「鬼まつり」において「豊饒の大地」の表象は「鏡餅」でした。コーカサス地方では「有翼の円盤」(参照)で表象されていた「豊饒の大地」は、同じ「大地」を表す「円」に「豊饒」の意味合いを付加するものが変容しています。「大地」を「円」で表すことは、「石包丁」由来の「大地の表象」よりも古く、集落を円状につくるなど、旧石器時代までも遡ります。同心円の「生殖表象に次いで現れた表象です。「石包丁」由来の「大地の表象」には、豊饒」の意味合いが元々あるのですが、「円」で表す「大地」には含まれたいないため、「豊饒」の意味合いを付加するものの変容が見られる「形而下の石」なのです。ここでは「鏡餅」に見られる「神聖な豊饒」について考えます・
(12)大型臼と竪杵;唐古・鍵考古学ミュージアム(弥生時代中期~後期)
写真の「大型臼と竪杵」の形状が示すように、「餅」の伝播には、「水稲」の伝播や同じような道具で餅を搗く、ミャオ族、トン族、プイ族、シャ族、リ族、など中国やタイ、三ヤンマーに住む少数民族について調べる必要があります。ただ今回は、「豊饒の意味合いを付加するもの」に焦点を当てます。
(13)岡崎市瀧山寺「鬼まつり」(参照);鏡餅を持つ鬼が炎の中から登場;撮影和久譲治
粘りを作るでんぷん・「アミロペクチン」100%の「もち米」は中国・長江流域のジャポニカ米(アミロペクチン80%、アミロース20%;私達が食べている米)から突然変異で生まれたようです。そのため、ジャポニカ米からの受粉で容易くジャポニカ米に戻るため、古来野生では存在しない、手の掛かる大切な米だったようです。上記の民族などが長江流域で「もち米」の突然変異に出会い、大切な「もち米」で作った「餅」を、正月や祭りの「ハレの日」に食したことが、「神聖な豊饒」と「餅」を結びつけたと考えられます。こうして「餅文化」は長江流域に始まったと思います。その後、BC2,000年頃に気候の寒冷化などの原因で、北方民族の南下があり、「餅文化」を持った人々は、続く歴史の中で山岳や海辺に退き、少数民族となったのが現在に繋がる状況です。
それではこれらの少数民族が日本に伝播・・・・確かに稲作・弥生文化形成に大きな役割を果たしてています。しかし、弥生時代の文化はもう少し複雑な様相を呈しています。ミャオ族は餅を丸める時、手にゆで卵の黄身をつけるようです。何故でしょうか?ミャオ族の歴史、文化を詳しく調べる必要があります。
子供の頃を思い出すと、私の家では、正月に必ず「キビ餅」を作っていました。「キビ餅」の「黄色」と「卵の黄身」とは繋がるのでしょうか?「石包丁」由来の「大地神の表象」である「黄金餅・粟餅」(参照)の「黄金」とも繋がるのでしょうか?
ちなみに、我が家の「キビ餅」は「丸餅」と長楕円の「のし餅」に作り、「のし餅」は輪切りにして食べていました。よって、その形状は「石包丁」と同じです。
(14)キビ餅
(15)黄金餅(粟餅)
三菱マテリアルとコロワイドの株主優待
(16)金製祭祀用石刃・「豊饒の大地」;ビュロス・第4墳墓;ギリシゃ
BC1,450根年~BC1,400年,黄金伝説展図録
*「羽子板、扇]が導いたこと(10)参照のこと
(17)ミャオ族の分布;ミャオ族の歴史と文化の動態・鈴木正崇(風響社)