形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

Chalcolithic(金石併用時代)ー1-6

 



Maykop culture 黄金の文化(3)

テラスの造成(段々畑のルーツ)

 

 

(1)Camonica Valleyの岩絵;CAMONICAVALLEY Emmanuel Anati KNOPP

 

前章でMaykop cultureでの石積テラスの出現と灌漑は、飛鳥時代の「亀形石造物」と「酒船石」と表象的に繋がりがある事を説明しました。そこで思い出したのがCamonica Valleyの岩絵に描かれた灌漑の岩絵でした。

北イタリア、Brescia地方のvalcamonicaには旧石器時代から面々と岩絵が彫られていました。ところがBC3,500頃に新しいタイプの岩絵が現れます。

BC3,000年頃に「Maykop culture」を北スラブの騎馬民族が征服したこととの時間軸を考えても、侵入が始まった頃にMaykop cultureの一部の部族がこの地に移動したことが考えられます。何故なら、その岩絵に現われたのは車輪、ワゴン、冶金、牛そして灌漑だからです。同じくしてCamonica Valleyは銅器時代から青銅器時代に移ります。

valcamonicaの文化を見ることは、Maykop cultureを知ることにも繋がるのではないでしょうか。

 

(2)Camonica Valleyの岩絵;CAMONICAVALLEY Emmanuel Anati KNOPP

 

 

(3)ローザ・カムーナ;和久ノート

 

そしてまたvalcamonicaに移動したMaykop cultureの部族は、現地の人々(カムナ人)に比して少数だったのではないでしょうか。以後の岩絵にも写真(3)のローザ・カムーナ(雨による平衡・女神)や長方形のオブジェ(輝く雨・羽子板や短冊のルーツ)など 上部(後期)マグダレニアン(Supe'rieur Magdale'nienne)文化の表象(参照)が多く現われています。

 

神社建築様式

 

(4)Camonica Valleyの岩絵;CAMONICAVALLEY Emmanuel Anati KNOPP

 

家屋の形も上部(後期)マグダレニアン(Supe'rieur Magdale'nienne)文化の「平衡」の表象に建てられていることが解ります。そして木造です。しかしここにもたMaykop cultureの影響が見られ、融合したその形は日本の神社の形に受け継がれています。二つの文化は影響しながら並立したようです。両者の神聖視した表象が岩絵に現れ、融合もしているのです。神聖な家屋の上に立ち上がった後光のようなものが、日本の神社では「千木」と「鰹木」になります。それはCONCARENAの後光を伴う旭であり、同じ「平衡」のコンセプトで融合して、立ち昇る蛇になり、「女神ゴルゴン」が生まれます。

この神聖な家屋は岩絵から判断すると、冶金作業の工房であり「青銅剣」が作られていたようです。「神社」と「剣」は成り立ちから結ばれており、イシュタル=ゴルゴンの「蛇」を映す「蛇行剣」が神聖な遺物であることも理解できるのです。

 

ゴルゴン

(5)

 

(6)ゴルゴン=鬼;エトルリアではこの姿のゴルゴンも現れています。ちなみに「奈良五條」(参照)の「鬼の面」には角がいっぱい生えています。

 

写真(5)は岩絵の戦闘場面に良く表れる神「ゴルゴン」の姿です。後にエトルリアでも神になり、ギリシャではアテナ女神に置き換えられる蛇の女神です。「ゴルゴン」の誕生はMaykop cultureの部族と現地の人々(カムナ人)の、神聖視する物の融合から起こったようです。「ゴルゴン」はこの地で生まれました。なぜこの姿になったのか。少しアルプスを下った町の名前がヒントになります。「ゴルゴンゾーラ」です。

 

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 (7)CONCARENAの(gorgonzora・ゴルゴンゾーラ)・「夜明けのゴルゴン」;製作和久譲治

gorgonzora(ゴルゴンゾーラ)はチーズで有名なミラノ北の街の名称です。「zora」はスロベニア語に残り、「夜明け」を意味します。

 

(8)和久ノート

 

日本の「八ヶ岳」にも後光を伴った「旭」が昇り、縄文時代には「ゴルゴンの香炉」が祭られ、江戸時代には各大名が競って「旭」を見るため陣を張り、酒宴を催しました。

 

話が横道にそれて行きますが、この文化は日本文化のルーツでもあり、あと一つだけ付け加えます。話は八年前とループします。

 

パドル(羽子板)(参照)

 

 

 

 

 

輝く雨(長方形)は「雨による平衡の女神」を表し、女神に願いが通じるように取っ手部分が付いています。鹿の横に添えて描けば狩猟の成功を祈願し、戦の岩絵に添えて戦勝を祈願しています。戦車と結んでより具体的な願いを表しています。江戸時代の「胡鬼板(羽子板)」で将軍家が願った「五穀豊穣」、「鎮護国家」と同じ概念であることが解ります。「雨による平衡の女神」は権力者の都合により、さまざまに神の呼び名は変化していきます。およそ、人々の神社での願い事は、上部(後期)マグダレニアン(Supe'rieur Magdale'nienne)文化(参照)以来の歴史の中で、人類が「雨による平衡の女神」に祈願し続けてきたことに他ありません。

さらに「胡鬼板(羽子板)」の遊びについて見てみれば、「羽」の形は「旭と後光」を表しています。「後光」を「羽」で表すことは、ナガ族の儀式用羽根飾りやアメリカ先住民のヘッドギアに引き継がれています。ローマ兵などの「赤いヘッドギアの毛」も同じで、もちろん「モヒカン」の意味も同じです。武士の髷も「鰹木」と同じように「蛇」を表象しているのだと思います。

興味深い「Camonica Valleyの岩絵」については時を改めて詳しく見てみたいと思います。本題に戻ります。

「Maykop culture」の本質は、「金鉱」を求めて標高高く険しい気候のコーカサス山脈に分け入り、豊かな「金鉱」の発見により、山岳地帯で暮らす文化を作り上げたことなのでしょう。「石積テラスの出現と灌漑(段々畑)」もその一つの文化です。故に、天空の都市や文化と呼ばれる山岳文明は「Maykop culture」の部族の移動と関係付けられます。

そして「蛇」についても、「平衡のcheveron」を「蛇」に見立て、「蛇」を「雨による平衡の女神」に様々な概念が習合したイシュタルの表象動物にしたのは「Maykop culture」であることになります。

日本において「蛇」が「山の神」と関係がある事は、日本における「蛇文化」の代表的な研究者である吉野裕子氏の「山の神(講談社学術文庫)」を読めばよく理解できます。

さらに進んでいえば、山岳文明「Maykop culture」で生まれたイシュタルは「山の神」であり、コインに残されたミノア文明の「イシュタルの山頂への降臨」に見るように、山頂に降臨する「山の神」になります。このことは「戸下神楽(諸塚神楽)」(参照)ですでに詳しく見てきました。

「形而下の文化史」の基本的なコンセプトであるように、一つの表象や遺物を、限られた時間や空間に限定して研究しても迷路にはまります。すべての概念は人類の誕生から地球全体で継続しています。

たとえばピラミッドの前に埋められた立派な船が「イシュタルの舟」であることが理解できれば、エジプトの考古学は飛躍的に進むはずです。出身学校が中心的に発掘をしていることで気になっていますが、発想が地域限定的でもどかしく思っています。

表象的な見地からは大城道則氏の「ピラミッド以前の古代エジプト文明(創元社)」が優れた研究を提供してくれています。ここでも「Maykop culture」との継続が見られます。そもそも石のピラミッドは「Maykop culture」で墓として見つかっています。その形の表象は「X=平衡」、「▽=女神」、「□=輝く雨」、つまり平衡の女神により冥界へと旅立つのです。この概念もこれから見ていきます。

次回「Maykop culture」の特性に戻ります。

多くの「始まり」があるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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